心に住む人
具合が悪くなってくると、頭の中で遺書を認めるようになった。風呂で頭を洗いながら、ドライヤーで髪を乾かしながら、猫の食器を洗いながら、母に向けてわたしは遺書を認めている。
「わたしはわたしでいることに、もう疲れてしまったんだと思う」
「お父さんとお母さんみたいになりたかった。姉や姉の旦那さんみたいになりたかった」
「こんなにも愛を注いで育ててくれたのに、わたしは人に愛を与えられなかった」
「産んでくれてありがとう。生まれてきてしまってごめんなさい」
「わたしはわたしでない誰かになりたかった」
「死にたい気持ちを持って生きていくことは、とても疲れることだとわかった」
「家族でない誰かに、愛されたかった」
読まれることはないこれらの言葉たちを自分の中で反芻させながら、泣いたり、悲しんだりしている日々が続いている。
自分が死んだ後の、周囲のことを想像しながら眠っている。そんな話を上長にしたら、攻撃的な感じに向かうんだね、と意外そうな声を出された。わたしは自分で常に刃物か何かを持っているつもりでいるんだけど、周りからはどうやらそう見えてはいないらしい。
楽しいこともある。嬉しいこともある。でもそれを上回るほどの虚無感と苦しさに誘われて、希死念慮はひょいと顔を出す。
好きになった人に、ただ好きになってもらいたいだけだった。
好きになった人に、わたしのことを受け入れてもらいたいだけだった。
好きになった人と、ずっと一緒にいたかった。
わたしの求める幸せのかたちと、わたしが手に入れられる幸せのかたちがイコールでないことはよくよくわかった。それが苦しいことも、虚しさを伴うことも、よくよくわかった。それでも諦めることができずに、姉の手の中にあるものを羨ましく、そして同じくらい愛おしく感じている。
他人が怖い。でもそれと同じくらい、わたしは人間のことが好きなんだと思う。一人が好きだし、一人でいたい。一人でいれるし、一人が楽しいけど、でもそれに疲れてしまう夜は必ずやってくる。自分一人で安心のかたちを保つのは大変だ。心に誰を住まわせても、それはきっと変わりない。
わたしの心には母と、好きだった一人の人の姿がある。
好きになった人と、ずっと一緒にいたかった。その願いは叶わない。