雨の音で目が覚める

当事者研究、たまに呪詛

引っ越しのとき、自分の荷物の少なさに驚いた。洋服と靴で小さい段ボール2つ、あとは4箱の段ボールにギチギチに詰まった本だけだった

引っ越しのとき、自分の荷物の少なさに驚いた。洋服と靴で小さい段ボール2つ、あとは4箱の段ボールにギチギチに詰まった本だけだった。荷物の大半は調理器具と猫のための買い置きで、こんなにわたしのものって少なかったっけとなんだか不思議だった。家を建てるために毎月6万円貯金をしていた。夫は好きなものを買っていいよと言っていたけど、わたしが散財することで家を建てられないのは嫌だなと思い、服も本も、毎月1万円のお小遣いの中で買っていた。夫はとにかく物欲のない人だったから、わたしばかり物を買うのがなんだか恥ずかしいとも思っていた。見てしまうと欲しくなるからとにかく情報をシャットアウトした。家計の中で出来ることをしよう、そう思って料理に力を入れた。お弁当も、夕ご飯も、たまに作るお菓子も、SNSにあげるとフォロワーさんにいいねを押してもらえて素直に嬉しかった。作ることは好きでも食べることはあまり好きではないから実家へおすそ分けしたり、あとはとにかく夫の好きなものを作った。

もうちょっと頑張れば頭金も溜まりそうだし、そう思ってハウスメーカーの資料を取り寄せて間取りはどうしようか、窓は大きい方が良い、とにかく日当たりが良く明るい家が良い、猫も楽しめて、キッチンにはパントリーも欲しい、小さくてもちゃんと一人一部屋プライベートルームを作ってお互いが心地よく過ごせる家にしたいと一人空想を膨らませていた。

 

子供は別に欲しくない、そう夫に言われたとき、あっもう結論ひとりで先に出しちゃったんだ、と思った。わたしは欲しいと思っているけど、でもあなたは欲しくないんだね。そう言うしかなかった。仕事をして、家事もして、ただでさえ自分の時間がないのに子供が出来たら本当に自分の時間がなくなってしまう、これ以上はパンクしてしまうんだ、子供が出来たらまことが出来なかった家事を結局自分が尻拭いすることになる、そしたら負担は今の何倍にもなる、そんなことに自分は耐えられない。それが夫の言い分だった。それを聞いて、言いたいことは山ほどあったけど、そうか、わかったよとしか言えなかった。夫は物ごとを展開する力が弱いようだった。どうしたらそうならずに済むのか、どうすれば不測の事態を避けられるのか、どうやったら上手く物ごとが進んでいくのか、夫はそう考える力が弱かった。先のことを考えると不安になるから考えられないんだ、夫はそう言っていたけど、そりゃ不安になるわけだ。どうしたらいいのか考えられないのだから。どうしたら最悪の事態を避けられるのか、夫にはそれを考える力がないのだから。夫が子供は欲しくないと言ったときに、もっと丁寧に聞き取りをして不安なことをリスト化し見せ、どうすればその不安が解決するのか話して聞かせれば良かったのかもしれない。でもわたしのお腹には赤子などいないし、何より机上の空論を夫はなにより嫌っていた。そんな状態では何も話せまい、そう思ってわたしはそうなんだね、と夫に返事をしたのだと思う。

夫には何度か、セックスしないのに夫婦でいる意味ってあるのかな、と言われたことがある。今でこそわかるけど、それが夫の結婚観だった。無条件でセックスが許される関係が夫婦なのだと、きっと本気で思っているのだろう。合っているのかもしれない、それが夫婦なのかもしれない。だからこそみな、セックスレスで悩み、セックスの出来ないわたしたちはおかしいのだろうかと自問するのだろう。わたしは初めて夫にそう聞かれたときに、この人はわたしと離婚したいのかなと思った。夫婦でいる意味ってあるのかな?そう聞かれてなんと答えればよいのだろう、そうだね、じゃあ別れる?としか言えないではないか。それとも、わかった、じゃあセックスしようかが正解なのか。わたしと夫の間には大きな価値観のずれがあった。それがとてつもなく、辛かった。わたしは夫が離婚というキーワードを出すまで、つまり結婚生活の最後までだが、セックスの出来る夫婦になりたい、戻りたいと強く思っていた。でも夫はもうわたしのことは眼中にはなかった。休日はずっとソファに寝ころびスマホをいじってばかりで、今思えばそれは当然だ、ほかに好きな女性がいたのだから。結婚式でわたしたちは互いの親族、友人の前で「病める時も健やかなる時も」と誓ったはずだった。今がその「病める時」ではなかったのか。セックスの出来ない今に悩んでいる、互いにある発達障害の特性に苦しんでいる、こんなはずではなかったと嘆いている今は、病める時でなくてなんだというのだ。互いを思い合い、許し合うことをわたしたちは誓ったのではなかったのか。わたしの中にある離婚というものに対する後ろめたさはこの「誓い」の部分に他ならない。向き合うことを放棄し、諦め、全てを捨て去った夫にはやはり怒りを覚える。しかしきっと夫にとってはわたしも同じなのだろう。わたしは実家に戻ってから夫と話をしていない。もう疲れてしまったからだ。何度話しても自分を正当化する夫の態度に、自分の思うとおりにいかないと怒鳴り散らす夫のその声に、わたしをなじり、馬鹿にし、自尊心を削るようなことばかり吐き捨てる夫の弱さに、わたしはもう疲れてしまっていた。離婚というキーワードが出た初めての夜のことを夫は覚えていなかった。人の発する言葉でどれだけ人を傷つけることが出来るのか、夫にはいくら説いても伝わらなかったことを思い出す。両親を馬鹿にするようなことを言われたこともある、友人を愚弄するようなことを言われたこともある、わたし自身を引き裂く言葉を言われたことだって何度もある。それが彼の特性だと理解はしていても、「自分はADHDだから仕方ないんだ!」と怒る夫を許容することはわたしには出来なかった。障害を持つ人間が障害を言い訳にしたら全てが終わる。夫が自身の障害に対し開き直った発言をするたびにわたしは夫を病院へ繋げたことを後悔した。自身の性欲が強いことも夫の中ではADHDの所為だった、感覚過敏によって人に触れられることが嫌悪感に繋がると言ったわたしに夫は、自分だってADHDだからこれは仕方ない、だからセックスさせないまことが悪いと言い放つ。わたしだってしたくない訳じゃなかった、夫のことが大切だったからだ。だからせめて、配慮が欲しかった、ただ気遣って欲しかったのだ。AVを模倣した男性主体のセックスではなく、互いの心を通わせ合うような、優しさに溢れ慈愛に満ちた行為がわたしは欲しかった。快楽を求めるだけじゃない、あなたのことが好きよと心から思える行為がわたしは欲しかったのだ。夫はお皿洗いをしてくれた、洗濯物も畳んでくれた、トイレ掃除もしてくれたし、食料品の買い物にも付き合ってくれた。それでもその傍ら、わたしを怒鳴ったし機嫌の悪さをわたしにぶつけた。まことは自分の実家を嫌っていると思い込み、まことは自分のことすら馬鹿にすると常に憤っていた。元ニートのくせに、正社員にもなったことのないやつに会社の何がわかるんだ、引きこもりに言われる筋合いはない、そう夫はわたしに何度も怒鳴った。わたしはただ互いを大切に思い合いたいだけだった。しかしそれも、夫にとっては煩わしいだけのものだったようだ。

 

実家へ戻った日曜の朝、父と母と三人で朝食を食べた。食後に父がコーヒーを淹れてくれ、テレビを見ながらただなんでもないことを喋った。ただそれだけの行為がとても、とても楽しかった。自分が相手に発した言葉がなんの歪みもなく届き、敵意のない言葉が返ってくる。今日の予定は、この間のドラマでさ、そういえばこの間ね、とわたしはずっと、ずっと喋り続け、父と母はよく喋るねえと笑っていた。だって!こんなに楽しいことってある?!、そう言葉にしたときに自分がどれだけ抑圧されていたのかを思い知った。わたしが求めていたことは夫にとってはきっととても難しいことだった。朝、顔を見ておはようと言って欲しい、夜寝る前にもおやすみと言って欲しい、夫婦であろうと相手に敬意をもって接して欲しい、親、友人を大切にして欲しい、嫌なことはしないで欲しい、わたしのことを大切にして欲しい。夫にはきっと、どれもものすごく難しいことだった。夫の育ってきたバックグラウンドを知っているわたしにはわかる、でも、自分の育ってきたバックグラウンドを客観的に見ることの出来ない夫には、それはわからないことだった。自分の今までのHowToが通用しないわたしに対し、夫はどうしたらいいかきっとわからなかった。それを模索する術も力も持っていなかったし、手助けしてくれる人も夫の周りにはいなかった。ずっとずっと、寂しかったと思う、孤独だったと思う。そんな夫が少しでも楽になればとずっと手を差し伸べていたけれど、夫の視界にわたしのその手が映ることは一度としてなかったのだ。

 

わたしは自分が夫のことをきちんと愛せていたのか、今でもわからない。母にそのことを相談したときには、幼少期に感情の名前付けがされていないだけだと思うからそこは発達障害の部分だよね、と言われて納得はしたけど、それでも夫に対する気持ちに「好き」だとか「愛」だとかの名前付けは今も出来ないままだ。夫は、わたしのことを本当に好きだったのだろうか。わたしに求められて結婚しただけで、結婚したらセックスし放題だしとただその考えだけで一緒になったんじゃないかとどうしても考えてしまう。

夫は一度でもわたしとの将来を思い描いたことがあっただろうか。自分はどうなりたいのか、何を求められているのか、どうすればよいのか。これからも、そう考えることが出来ずに暗闇の中、言われたことだけをこなし、自分は正当な評価をされないと相手を恨み、自分はこんなはずではないと、自他を認めずに生きていくのだろうか。わたしに出来ることは何かなかったか、つい、そんなことを考えてしまう。