雨の音で目が覚める

当事者研究、たまに呪詛

個人的な発達特性の記録【6~10】

前回「2.反復行動を好む」という特性を少し掘り下げましたが、

 

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今回もそれに通じる発達特性からです!

 

 

 

6.予想がつかない・先の見えないことが苦手


 

これから先、なにが起こるのか把握していないととても不安になります。どんなことをするか何をすればいいのかどうしたらいいのかわからないとパニックを起こして泣いたりします。

 

忘れ物をしたことで見えなくなった先行き

小学生の頃、わたしは忘れ物をしがちな生徒でした。よく覚えてないんですが教室の前方、黒板の横に時間割表だとか教師から生徒への連絡事項だとかを書いておくスペースがあって、翌日の持ち物なんかも全部そこに書いてあったんです。教師は帰りの会などで口頭で生徒に持ち物はこれだよ、ここにも書いてあるよって伝えてくれるんですが、そうですわたしは「耳からの情報が記憶に残りづらい」んですよねえ。加えてあの頃は気が散りがちというかわりかしとボケッと考え事をしていた子供だったので尚更教師の話を聞けていませんでした。もしくはきちんと連絡帳などに持ち物を書いて帰ったとしても家に帰った瞬間に明日の持ち物の存在を忘れるんですよねえ。母はきちんと明日の準備をしなさいねとわたしに教えてくれていましたし、いつも使う教科書や筆記用具などはあまり忘れることはありませんでした。イレギュラーな持ち物に関してだけ、わたしは存在自体を忘れがちでした。

 

さて、忘れ物が多い話が何の関係があるんだよ、ってな感じなんですけどあります、良ければ聞いてください。

 

例えば習字の授業で習字セットを忘れたとします。忘れたことあります、へへ。習字の授業ではもちろん習字を練習するわけですから、習字セットを持っていないわたしはクラスメイトと同じように授業を受けることが出来ません。当時の思考回路としてはこうです。

 

 

授業開始5分前

あっ、習字セット忘れた、持ってきてない!どうしよう!みんな持ってきてるのに!わたしだけ持ってない!どうしたらいいんだろう。先生に言ったら叱られるかな。あっみんなもう準備始めてる!どうしよう、どうしたらいいんだろう。みんなが習字の練習をしてる中でわたしひとり何をしてたらいいんだろうどうしよう!!!!

 

 

です。もおおおパニックです。ドキドキして不安でたまらなくて今にも泣きだしそうでした。「どうしよう、どうしたらいいんだろう」ここ、ここです。習字セットを忘れた自分には気付けているんですが、そこから先どうしたらいいのかがわからなかったんです。今ならわかります、ええ、わかりますとも。教師に忘れ物をしたことを報告、授業が始まりそうだが姉に借りに行ってもいいか、もしくは学校の備品を借りることが出来るか、それとも先生と相談した上でわたしだけ習字セットを使わない授業に変えるか(ペン字とか?書き取りとか?)。選択肢は幾つもありますあったんです。まあでもそこは小学生しかも低学年ですから、見事に先の見えない状況にパニックを起こしたんですよね。

わたしと同じように忘れ物をしたクラスメイトで泣きだしそうになる子は一人としていませんでした。みんな飄々とした顔で教師に忘れました!と言いに行き、特になんのダメージも受けずに学校の備品を借りていたのを見てわたしは信じられない気持ちでいっぱいでした。

先生に怒られるかも、どうしたらいいんだろうと真っ先に思っていたわたしにとってクラスメイト達の行動は本当に理解不能でした。

 

 

先の見えない不安によって受けられなかった支援と診断

もうひとつ幼少期のエピソードを。

不登校になった際、発達障害を疑っていた母はわたしを病院へ誘いました。わたしはどうしても行く気になれず、母だけがわたしのことを相談しに何度か通ったらしいのですが当時の医師の見解は「多分そうだとは思うけど実際に本人を見てみないとわからない、連れてきて」とのことでした。その医師のもとへ27歳にしてようやく通い始め診断を受けることになったのですが、まあその話は置いといて。あの時ちゃんと病院に行っていたらなあ…と深い後悔の気持ちがわたしの心の中には常にあります。ではどうしてあの頃のわたしは病院へ行く気になれなかったのでしょう。

 

不安、その一言に尽きます。とっても不安だったんです。住んでいたところからふたつ隣の市にある病院だったのでまず道のりが不安でした。電車に乗る?バスに乗る?どれくらい歩くんだろう?。病院、というものに関してもイメージが湧きにくくどんな場所なんだろうどんな先生なんだろうどんな人たちがいるんだろう靴は脱ぐのかな怖い場所だったらどうしよう、と次々湧いてくる不安を止めることは出来ませんでした。特に不登校になったきっかけとして担任教師とのひと悶着があったため余計に「先生」ってものに対して不信感があったんですよね。母にそのまま不安に感じていることを伝えればきっと先が見えるように工夫してくれたと思うんですが、当時はただ「行きたくない」としか言えませんでした。先の見えないことへの不安によって必要な病院に行くことが出来なかった、なんて残念なことだろうと心から思います。

 

今では見通しを立てるために情報を集める、日常生活をルーティン化するなどの対策で不安に思う気持ちは減りつつあります。まあもちろん初めてのことはいつまで経っても苦手なままですが、それでも以前よりはパニックを起こしにくくなりました。

車を運転するようになり初めて通る道などは不安に思うことが多いのですが、最近はとても便利なものでスマホ実際の道路状況が確認出来たり航空写真で目的地が確認出来たりと、本当に本当に助かっています。事前の下調べでイメージを可視化することにより初めてのことでもある程度の予想が付き、その上ストレスが減るのであれば本当に願ったりかなったりですよねえ、有難い!

 

今回は先の見えないことがどんなふうに苦手なのか、というよりは幼少期にあった具体例を書いてみました。まあ大人になった今もあんまり変わらないんですけどねえ。感覚的には中身は小学生のまま身体ばかりが大人になってる気がしているのでいつまでもわたしの中身はきっと小学生のままなんだと思います(これについてはまた別の記事で掘り下げます)。

予想がつかない、先の見えないことが苦手、なんとなくですが伝わればいいなあと思います。

 

 

 

7.言葉のままに受け取る


 

冗談などは笑って言われればなんとなく分かるんですが、たとえば皮肉だったりわかりづらい冗談などは理解できないことがあります。言葉の裏側にある真意に無意識的に気付くことが難しいので、会話の際には細心の注意を払います。笑うタイミング、共感するタイミング、自分の意見を言うタイミング、今でもなかなか掴めないままです。

まことちゃんって面白いよねー!、小さい頃から何度も言われているんですが、こちらとしては面白いことを言ったつもりはないし至極真面目に話しているんですけどどうしてか相手にとってわたしは面白い人になることが多いです。こう言ったら面白いって言われるかな?と相手のリアクションありきで話をし墓穴を掘ることも多々あります。会話って難しい~。

 

読み取れたのは言葉の表面だけ

こちらもちょっとしたエピソードをひとつ。

わたし親子丼があんまり好きじゃないんです。鶏肉と玉ねぎを和風のだしで煮て卵でとじるやつ。ついこの間まで実家に住んでいたんですけど、その時に母が一週間の夕飯の献立を作っていたんですね。「今週親子丼するんだけどいい?」って聞かれたので、うーん、あんまり好きじゃないけどいいよって言いました。その時母は「親子丼そんなに好きじゃないんだ」と言ったので、うん、と言いました。

 

さて、今日の夕飯は親子丼の日。母が料理をする傍ら、わたしは母に話しかけつつダイニングに座っていました。その時母に「親子丼、あなた好きじゃないんだっけ?」と聞かれたので(この間好きじゃないって伝えてあるしきっと確認だろうな)と思ったわたしは素直に「うん、嫌い」と答えたところ、母から大変怒られてしまいました。母曰く、これから作ろうとしてる人に向けた発言じゃない、とのことでした。

もうすんごくびっくりして、えぇ…でもこの間は怒らなかったじゃん…とか、じゃあなんで聞くんだ?とか、好きじゃないって事実の最終確認じゃなかったのか…とか思いはしましたがいやあもう言われてみると確かに人の心がないですね。

 

後から母に聞いたところ、ポイントとしてあげられるのは「今から作ろうとしている」ところらしく、どれだけ事前に相手の好みを知っていたとしても今から作るメニューを目の前で嫌いと言われると人は嫌な気持ちになるらしい、です。いやあ、確かに自分が母の立場だったらブチ切れると思う、人でなしかよ!って思うもん。じゃあお前食わんでいいわ!って怒鳴る絶対。母からアドバイスとして「好きじゃないけどせっかく作ってもらうんだから食べるよ」等の返答が正解と教えてもらいました。む、むずかしい…。

 

 (この間好きじゃないって伝えてあるしきっと確認だろうな)ここ、この部分ですよね。

 

「親子丼、あなた好きじゃないんだっけ?」、この発言をわたしは母がわたしの好き嫌いを確認するために聞いたんだろうと読み取ってしまったんです。あまりに表面的すぎる…。母の真意はまあわからないんですが、少し忙しい日で母も余裕がなかったんだと思います。ちょっと苛々しているようにも見えましたし。そこでわたしのこの発言があったら確かに怒りたくなるよなあ…と納得しました、ごめんね。

 

 

人が話す言葉には大なり小なりふくらみがありますよね。その人がどんな意図をもって話をしているのか、わたしにとってそれを読み取ることはとても難しいことです。おかしなことを言って笑われたこともありますしその場の空気を白けさせたり乱したことだってあります。聞かれた質問にはストレートに答えるため、配慮を持てず相手に嫌われることもしばしば。さて、ではこの特性を要因とした困り感はどんなものなのか。最近あったエピソードを話します。

 

 

言葉のままに受け取りすぎた人間の末路

 就労支援所でとあるスタッフの方に「眼鏡がおしゃれでかわいいですね!」と話しかけて頂いたことがありました。わたしはふざけた丸眼鏡をかけているんですけど、自分ではまあまあ気に入っているのでとても嬉しかったんです。でも言葉には大なり小なりふくらみがあります。この人はどんな意図でこの発言をしたんだ…とわたしはすっかり疑心暗鬼になりました。今まで人の言葉をそのままに受け取り、そして非難され過ぎたんですよね。さて、話し掛けられたので返事をしなくてはいけません。頭に浮かんだ選択肢は「いえ、そんなことないです」と謙遜する「そちらも素敵なお洋服ですよね、かわいいなって思ってました」と相手を褒める「ありがとうございます」と無難に返す0.5秒ほどの間に頭をこれらが駆け巡ります。ワンテンポ遅れて返した言葉は「…ありがとうございます」でした。これが一番無難だと判断したので。会話は失敗することなく終わりましたが疲労は大きく残りました。相手が何を求めているのか、どう返事をすれば嫌われないか、この会話の目的は何なのか。大人になってからは常にそう考えながら人と会話をするがついてしまい、すっかり嫌気がさしています。

 

でもよく考えてみて、ねえ!!いや、そんなの定型さんでもわからんじゃん?!?!発達関係なしにみんなわからんじゃん?!?!

相手はこう言って欲しいんだろうな~とか、こういう意図で聞いたんだろうな~ってなんとなくわかっても完璧に相手の意図を把握できる人なんてごく少数じゃないですか。なのに!なのに!!!わたしはすっかり「言葉のままに受け取る」特性のおかげでトラウマ化してしまった「他人との会話」が恐ろしくなってしまい、常に疑心暗鬼を繰り返す生き物になってしまったんです。つ、つかれる…。

 

ただ、あれぇ…マズったかな…と不安になることはあっても実際に人から非難されることはぐんと減りました(家族に関してはもうなにも考えず思いつくままに喋るので申し訳ないと思ってはいますがリミッターを外して喋ることがストレス軽減となるので許して欲しい。言ってくれればちゃんと反省するしちゃんと謝るので…)。自分は相手の言葉をそのままに受け取るんだ、と自覚してからそれならばちゃんと気を付けていようという意識が生まれたんでしょう(生まれすぎて別の困り感は出ていますが)。ここは少し成長できたとこですね!よくできました!えらい!

 

 

場数を踏んで経験値を稼ぐ

会話っていうのはとにかく経験値を稼ぐしかありません。情報を集めてデータを分析、パターン化して使っていくことでトラブルはある程度回避されます。最初はものすごくしんどいんですけど(人に嫌われたり怒られたり笑われたりね…ハハ…)、でも勿体ないのでそれも全部自分の糧にしちゃいましょう。考えすぎて疑心暗鬼になるときによく思うのは「他人ってあんたが思うほどそこまで深く考えてないよ」です。気を張りすぎるのも良くないので適度に気にして考えていけるようになったらいいなと思います。

 

この特性の厄介なところは曖昧な指示を理解出来ないことです。「適当にやっておいて」「ちょっと待ってて」「これくらい」などがいまだに良くわかりません。適当ってどれくらい?ちょっとって何分?待っててってどこで?ここで?これくらい?どれくらい?!?!いやぁ、パニックに陥るさまが目に浮かびます(これについては15.感覚で物事を掴めないとも共通しそうなのでここでは簡単に終わらせます)。

的確な指示さえあればフルパフォーマンスを発揮できるよう尽力致しますのでどうかどうか、よろしくお願い致します。

 

 

 

8.見えないものは存在していない


 

存在を忘れる、が近い表現かもしれません。母はわたしをAHDHじゃないかと長い間思っていたみたいなんですけど多分それはこの特性のせいかなってなんとなく思います。

 

クローゼットにしまってあるもの、戸棚の中のものなど今でこそ把握していますがここまで来るのにかなりの時間がかかりました。しまってしまうとそれは無いものになってしまうんです。しまっておいたものが突如必要になった時にはとても困りました。もうそれはわたしの中で「無いもの」になってしまっているのでどこを探したらいいのかもわからないからです。これが解決したのは自分で部屋を片付けるスキルを身に着けることが出来てからでした。ただイマイチ不安が残るので、大切なもの入れスペース、普段使いスペース、ジャンル別収納スペースと分け、しまうときにはこのカテゴリ分けを必ず守るようにしています。それでも無くなるときには無くなるので(自分が覚えていられないという意味で)、青い顔をして泣きながら探す、なんてこともよくあります。

 

 

当事者研究をされている小道モコさんの著書、「あたし研究」の中で「見えないモノはないもの!?」という項目があります。

 

私にとって、見える/見えない、というのはとても重要なことなんです。

見えること⇒考えがおよぶこと

見えないこと⇒考えがおよび難いこと

 

…(中略)…

 

私は見えていること/モノがすべてだと思いがちです。

たとえて言うなら、視線ビームの行き届かないものは認知しにくい感じなんです。

 

あたし研究

あたし研究

 

 

なるほどこれかぁ…と納得しました。診断を受けた際にわたしにADHD傾向はありますかと主治医に聞いたところ、検査では見られないと言われ、うーん、じゃあなんでこんなに物がなくなるんだ??と不思議に思っていたんです。傾向として不注意特性は確実にあるんですけどそれではちょっと説明がつかなかった(現在改善されている訳ですし)ので小道さんの本を読み、なるほどお!と思いました。小道さんの「私は見えていること/モノがすべてだと思いがちです」、この言葉にまるで自分を見たような気がしました。小道さんはこの項目をこんな風に締め括られています。

 

「見えないモノに思考が及ばない」→「じゃあ、どうしたらいいのか」

具体的にどうしたらいいのか、工夫できる余地がある、というのは、大きな救いです。見通しのつかない暗闇を歩くその手に、懐中電灯を得たような、そんな救いです。

 

 わたしが自分の特性を理解していくことがわたしの救いになる。そう思うことが出来たきっかけは小道さんの本でした。

 

あたし研究〈2〉自閉症スペクトラム―小道モコの場合

あたし研究〈2〉自閉症スペクトラム―小道モコの場合

 

 

 

どうする???

さてさて、対策立てていきましょう!自己理解を深めて自分を救ってあげましょう!(なんか変な宗教みたいになってきた…)

まず見えなくなることで「無くなって」しまうものたちについて。上記でも少し触れましたがとにかくカテゴリ分けをしてしまいましょう!それぞれのおうちを作ってそこへ放り込みましょう!書類は面倒くさがらずにファイリングをしたところかなり便利で助かりました。大事なものファイルには・家の契約に関しての書類、・光熱費に関しての書類、・保険に関しての書類、・取扱説明書、保証書、などを入れています。そのファイルを置く場所が大事なもの入れスペースとなるのでそこへ通帳や失くしたくない郵便物などをしまっていきます。そんな感じで同じように服はここ、文房具はここ、本はここ、アクセサリーはここ、薬はここ、などなるべく持ち物を分散させないようにカテゴリ分けをしながら整頓していきました。まあこれ普通にみなさんやられていることなんですけど、その普通のことが出来るまでに10年くらいかかってます…へへ…。昔実家で暮らしていた時の部屋、すごいありさまでした。

 

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はい、汚部屋だった実家の部屋です。きったねえええええ…本当に汚い…ひどい…。これは母もADHD疑うわ~って思いますよねえ。これ、不思議なんですけど何がどこにあるのか自分でちゃんとわかっているんです。なので困ることは一度もありませんでした。どこに何を置いたのかはほとんど記憶していたのでこの頃物がなくなった!と慌てることはなく、むしろある程度片付けるようになってからあれがないこれがないと慌てることが増えました。しまって視界に入らなくなったものの存在をどうしたって忘れてしまい、そして忘れてしまうその特性にすら気付いていないので、物をしまう時に記憶しようという意識もなかったからです。自分の特性を理解して初めて、正しく整理整頓が出来るようになりました。

 

自分で片付けていない場所に関しては何度か開け閉めをすることでしまってあるものを把握、記憶することが出来るので人より時間はかかりますがきちんと元の場所に戻す、という行為をとれると思ってます。むしろ元の位置に戻したいだってなくなっちゃうから

 

俺の後ろに立つな

わたし背中側に人がいるとすっごい不安になるんですよね。これももしかしたらこの特性が関わっているのかなあと思うところなんですが、この特性以外にも要因はありそう。殴られたらどうしよう、とかいつ刺されるかわからない、とか随分バイオレンスな不安なのでこれまで他人から精神的に叩かれてきたトラウマもあるかもしれません。人がいる場ではなるべく壁を背にして座ったり全体を見渡せる場所に立つことで心の安定を図っています。集中もしやすいですし!心の中のゴルゴと共に毎日を暮らしています、へへ。

突然背中をトントンと叩かれるとびっくりするので出来れば前から手を振ったり声をかけたりしてくれると嬉しいなあ。

 

 

 

 

9.インプット・アウトプットに時間がかかる


 

知能IQの低さが関わってきてるのかなあと思う特性のひとつです。頭が悪い、理解度が遅いって言われるとまあそうですね…って感じなんですが。

 

情報を溜め込むバケツ

バケツがあります。そのバケツはそれぞれの物事に対してひとつずつ用意されていて、そこに必要な情報をわたしは詰め込んでいきます。詰め込んでいる最中に取り出すことは出来ません。だって今は詰め込んでいる最中ですから。たくさん、たくさん詰め込んでいって、あぁ!溢れる!、その時ようやくアウトプットが出来るようになる。イメージとしてはこんな感じです。バケツに水が溜まるのはある程度のスピードがありますが、わたしの場合は水ではなく、砂とか小石とか、スライム的な物体のような、溜まるのに時間がかかるもののような気がします。うーん、伝われ!

 

情報を詰めている最中に取り出すことは出来ません。もしかしたらこれは(12.ふたつのことを同時に出来ない)という特性とも関連があるのかもしれません。インプットするときにはインプットだけ、満タンまで溜まり、溢れそうだよ!となった時に初めてアウトプットが出来るようになる。爆発的な力が出るので良い効果をもたらすこともありますが、不の感情も同じように爆発しがちなのでなかなかに難しいところですね。

 

勉強の場では、学んでいることを自分の物にするまでに人より時間がかかるので歯がゆい思いをすることが多いです。一度落とし込んでしまえばいいのですが、それまでが大変ですね。アウトプットにもある程度の時間が必要になってくるので、なんというか、のんびり屋さんだなぁ~と自分を客観視するときもあったりなかったり。ただ、じっくり溜め込んだ分丁寧に出していける出していきたいと思っています。発達特性に関する当事者研究も今までじっくり溜め込んだ分、丁寧に書いていけたらいいなあと思っているので頑張りたいところ。無理せず、まあもともと人より発達がゆっくりなのだからねェ…と出せる時に出せる分だけ、を心がけていきたいです。

 

 

マイナス面とプラス面

人より遅いだとかは比べたところでもう仕方がないので(頭の仕様は変更できないのだし)人より遅いことで何が起こるか書いていきたいと思います。

まず劣等感が生まれます。わたしは生まれちゃいました。あの子たちは出来てるのにわたしには出来ない、わたしもあんなふうになりたかった!もう呪詛ですこれは…。

人より時間がかかってもいいんです。スピードで競うことはありません。ゆっくりやっていきましょうよ。今わたしは28歳になりましたが、この年でようやくひとりで市役所へ行き障害者手帳や自立支援制度の申請銀行窓口での光熱費の払い込みなどが出来るようになりました。部屋の片づけがきちんと出来るようになったのも25歳の頃ですし、料理をし始めたのは23歳になってからでした。20歳から一人暮らしはしていましたが、全く3年間も一体何を食べて生活していたんでしょうね…お金もなかったというのに…。発達障害を持つ人は一般的に成長が緩やかと言われています。緩やかでも、ちゃんと成長していけるはずです。少なくとも、わたしはそう信じたいです。周りと比べず、それはただの「違い」なのだと認識することが出来るとちょっと楽になるかなあ、なんて思います。わたしはまだまだ劣等感の塊なんですけどね!ここはわたしが今後乗り越えていく部分だと思います。乗り越えていきたい。

プラス面としては、上記でも書きましたが溜め込む時間が長い分、放出する際にはとても力強く丁寧であると個人的には信じています。誰かと比べて、ではありません。あくまで自分の物差しの中で、です。

 

インプット・アウトプットの早い人(姉とか)を見てるとうわいいなあ~~~~って心から思いますが、それぞれのペースがあることを常に頭に入れ、自分には自分のペースがあるのだと、そのままのわたしを受け入れてあげられるといいなあって思います。焦っても良くないですし。というか焦って始めたこと、今のところことごとく失敗してるんですよね…バイト、一人暮らし、結婚…うわ言ってて悲しくなってきた。時期がある時期があるんだよ全てのことには。しっかり肝に銘じて生きていきたいです。もう失敗したくない。

 

 

 

 

10.応用がきかない


 

思考回路の基本形が常に、~すべき~しなければならない、なので結構しんどいです。また他人にも~すべきを求める傾向があるので(自他境界の弱さが原因だと思ってる)周囲の人間からストレスを感じ、また周囲にストレスを与える原因にもなります。

 

ごみは毎回出さなければならない!

 毎週水曜日がプラスチックごみの収集日なんですけど、なんとなく朝起きれなくて出さない日があったんです。ごみ箱の中はまだまだ余裕があってあと2週間くらいは平気そうなんですね。それでもわたしの頭の中は「ごみを出せなかった」でいっぱいでした。どうしてでしょう。実家では父がごみの日には必ずごみ捨てをしていたんです。まあ4人家族なのですぐにごみ箱がいっぱいになるからなんですけど。月曜日と木曜日の可燃ごみ、金曜日のプラスチックごみ、週に3回、必ずごみ捨てをしていました。そうです、ゴミの日には必ずごみ捨てをしなければいけない、とわたしは思ってしまっているんです。いや、可燃ごみならね、そりゃ出した方がいいですよ。なので出しています、週に1度ですが…(可燃ごみを週に2度きちんと出さないことに関しても結構葛藤がありました)。このことをツイッターでつぶやいたところ、仲良くして下さっているフォロワーさんからうちもプラごみはそうですよ!とリプライが届き、あっ…えっ…みんなそうなの?!良かった~~~と酷く安堵したことを覚えています。

母にこのことを話したら「えっ、そんな風に思ってたの?別にプラごみなんか匂いもないんだし溜まるまで出さなくてもいいんだよ?」と言われ、早く教えてよ~~~~~と泣きそうになってしまいました。

~すべき、~しなければならない。この思考回路に苦しめられること、結構あります。しかもわりとくだらない(笑)。

 

 

わたしの呪い

わたしの生き方を苦しめている、~すべき、がもうひとつ、ロールモデルです。わたしが幼少期に選んだロールモデルは当時ごく一般的なものでした。年齢に見合った進学、就職をし、結婚をし、子供を産み、歳を重ねる生き方です。もう見事に外れてます外れてしかいません。わたしはすっかりこのロールモデルから外れているにも関わらず、未だに年齢に見合った進学就職をしなければならないと思っているし、結婚をし子供を産み、歳を重ねていかなければならないとどうやら思っているみたいなんです。ただ結婚、子供についてはもうちょっとしんどくなってきたので考えないことにしているんですが、進学、就職の部分ですね。とてつもない強さのこだわりを感じます。そしてそのこだわりは自分自身の呪いになるんですよねえ。わたしが繰り返す吐く呪詛は大体がこの呪いによるものだと最近思うようになりました。

 

 

特性が組み合わさることで生まれる新たな困り感

この応用がきかない、という特性と言葉のままに受け取る、そこにワーキングメモリの弱さ、という特性が足されるとどんなことが起きるのか。

 

言われた言葉のままにしか動けない、という事態に見舞われます。たとえば他者に質問をしようとして「ちょっと待っててね」と言われたとしましょう。「ちょっと」の部分がわからないのでまずここで軽く混乱しますが「待っててね」の部分で待つことにします。わたしにとって待つ、という行為はその場に留まることなのでじっとその場に立ち静かに待つことにするでしょう。このとき何か別の行動をとってしまうと(スマホをいじるだとかその場を離れるだとか)、質問したかったことを忘れる恐れがある(ワーキングメモリの弱さ)のでわたしはただじっと聞きたいことを忘れないことに注意を払いつつ時が来るのを待ちます。本当は待ってる間、何をしていたっていいんです。忘れる恐れがあるなら軽くメモをして先に済ませたい用事があればそれをしたっていいし、座りたければ座ればいいんです。でもわたしはそれをしません。なぜなら「待っててね」と言われたのだからきちんと待っていなければならない、と思っているからです。

周りから見れば何であの人はじっと突っ立っているんだろう、となるんですけど、まあこういう思考回路が働いているんですねえ。客観的に見ると面白いですが本人は至って真面目です、本当にいちいち大変だなあ君は。

 

ルールこそが全て

人とのコミュニケーションにおいてこの特性は結構やっかいです。要約すれば「ルールこそが全て」ですから。~しなければならない、という思考回路はルールを順守することを強く求めます。小学生の頃、クラスメイトと遊んでいる最中にほかの子たちが改変されるルールにも柔軟に対応していたのに比べ、わたしはこうしなくちゃいけないのに!こうするべきなのに!と酷く怒り、そして悲しみ、まことちゃんと遊んでもつまらない、と同級生たちに嫌煙されることがありました。わたしにとってルールが改変されることは秩序が乱れることと同等だったんです。遊びだろうが関係ありません、最初に制定されたルールこそが全てでした。

 

今では人前で地団駄を踏むような無鉄砲さは無くなりましたが、自他境界の弱さから近しい人間には相変わらず、~すべき、を求めがちです。自分の首も、相手の首も、ぎゅっぎゅっと絞めていってしまうんですねえ。こうするべきなのに!これが正しいのに!苦しむ原因を作っているのは自身の特性だとわかってはいても、思考回路を変えるのはとても難しいことです。~必ずしもそうすべきということはない、そう思えるようになったらいいなと思います。

結構な白黒思想なのでこれは多分(20. 0か100かしかない)にも共通するんだろうなあと思うところ。

 

マイナス面とプラス面

マイナス面はまあ上記で挙げたとおりです。プラス面…うーーーん。ルールをちゃんと守ります。そこは評価してあげたい。どれだけ車がいなくても横断歩道を渡りますしごみの分別も守ります。まあ全てが俺ルール、ってところはあるのでもろ刃の剣って感じですね…

ここはもしかすると認知行動療法を使うところかなーとも思っています。ゆっくり自分が苦しくないようになっていけたらいいなと思っています。

 

 

 

今日はここまで!