精神科への通院が辛くなってきた。先生にいろいろと尋ねるのだけど、みんなそうだよとかそれは普通だよとか言われてしまって、「そうなんですか」と言うしかなくなってくる。終いには先生から、なんだかまことさんの聞いてくることって普通のことばっかりで、とか言われる始末。その普通のことで悩んでるんですけど、悩んできたんですけど。みんなと同じだからなんなんですかね、普通だからなんなんですか。その普通のことでえらい落ち込んで悩んできたんですけども。それともみんな死にたくなるくらい同じように悩んで落ち込んで引きこもったりしてるんですかね。そもそも先生の言う「みんな」ってどこからどこまでの人たちなんでしょうか。先生が見てきた患者さんたち?それとも一般的に「普通」と呼ばれる定型発達の人たち?わたしが今まで自分の悩みややりづらさを他人に話したとき、共感してくれたのは唯一発達障害を持つ友人だけでしたけど、それでも先生はまことさんの言うことは普通過ぎて、と言うんですねえ。

 

そんな普通のことで死ぬほど悩んで社会から逃げ出しているわけだけど、やっぱり生きている意味ってないんじゃないかなって最近ずっと考えています。いや、死なないけど。死なないっていうか、ただ死なないから生きてるんですよ。ここに押したら速やかに死ぬスイッチがあればもう万全の準備を持って死にますよ。葬式の準備して夫と友人への手紙書いて暫く料理しなくていいように冷蔵庫と冷凍庫手料理でパンパンにして入れるもんなら生命保険にも加入して、夫に迷惑かけないように全部ちゃんとして死ぬ。それくらい気持ち込めて死ねる。でもそんなスイッチどこにもないんだよな。だから生きてます。ちゃんと死ぬまで生きると思う。

 

そんなんで生きてる意味がないとか考えてるって生ぬるいこと言ってんじゃねえよってメンヘラ総叩きに合いそうなんですが、死ぬのってエネルギー入ります。メンがヘラってた時でも死ねなかったのに薬飲んでない今死ねるわけない。見逃してください。

 

夫の仕事が繁忙期に入ったので毎日起きて、お弁当作ってご飯食べて洗濯して夫のお見送りしてお弁当のおかずと夕飯作ってアイロンかけて家計簿つけて猫と遊んで…って生活をしてますけど、心の隙間に時々ふっと冷たいものが湧いてくるんです。死にたいなあって人に言う事はないけど、生きてるってだけでわたしはしんどいのだなあってそういう時に感じます。生きてるだけで辛いってなんなんでしょうね。

 

PMDDの治療でピルを服薬しているんですけど、あまり効果に実感がありません。生理前にあたる週ではすんごいお腹すくし空腹の時間にはぐわっと落ち込んで泣いて風呂場で泣いたりドライヤーかけながら呪詛を漏らしたり、休薬期間には苛ついて不安になって悲しくてって繰り返して生理始まれば治まり…書いてて思いましたけど全然ピル効いてないですね。ピルで調整しているはずの月経とホルモンバランスに身体がコンディションの悪さを合わせてくる。なんなんだ。来週の通院で先生に話してみよう。

 

子供の頃、母がわたしの発達障害を疑って今かかっている精神科の先生に受診をしていたんですけどその時先生にまことさんはシナプスっていう頭の回路の繋がりが弱くてそれで不安を強く感じるのかも、薬を飲めば治りますよ連れてきてくださいって言われてたらしいんだけど結局わたしは通えなくてそのまま大人になってしまい、さてわたしは未だにその回路の繋がりが悪いんだろうか。婦人科の先生にうちで出している精神薬はシナプスの下にあるセロトニンをためておけるお皿を大きくする薬だよって説明を初診時に受けていて、回路の繋がりが悪かったらどんだけお皿大きくても意味なくね?って素直に疑問なので今度精神科の先生に聞いてみようと思う。いったいわたしの脳と子宮はなんなのか、もうちょっと上手いことやってはくれんものだろうか。

 

母に悩みを打ち明けることが出来なくなってから暫く経ったんですけど、まあしんどいながらもなんとかやっていけてます。27歳にもなって生きているのがしんどいとか他人とうまくコミュニケーション出来ないとか夫にこう言われただのなんだのってもう母には話せないですよね。話される母が不憫すぎる。だってそうじゃないですか、三十路手前の自分の娘にああだこうだ辛い事話されたって母としてはどうしようもない。だからまことさんはうまくやっている、母にはそう思っていて欲しいです。

 

そうすると話す人って友人が夫か、の二択になるんですけど夫に話すって言ってもその夫が問題の原因だったりもするんで無理だし数少ない友人はみんな忙しそうなので引きこもりの子なし専業主婦の話なんてなかなか自分からは出来ない訳ですよ。なのでツイッターにいろいろ呪詛を書き込んだりするんですけどそうするとあっという間にフォロワーが減っていくんですよね。あれは面白かった。なので基本的に自分の話はしない、っていうのがデフォルトになってきているんですが、なんかもうそれでもいいかなあって最近は思えてきてます。たまにこうやってブログにぐだぐだ書くだけ。作文を書くのは子供の頃から好きだったけど知能検査で聞く力が弱いって判明してから一気に苦手意識ついちゃったし書くぞ書くぞ書くぞ!って思わないと書けない。上手に文章を書く人たちを見ると素直にいいなあと思います。

 

少し前に祖母が亡くなりました。突然で、お葬式の最中もどこか夢見心地でただ祖母にありがとうごめんねと伝えることしか出来ませんでした。もう納骨も終わって初盆になるんだけど、時々ふと、ああもうおばあちゃんはいないんだなって思って落ち込んだりしています。本当に何気ないとき、テレビ欄で福井県関連の番組を見たときや、おばあちゃんという単語を見聞きしたとき、自分で漬けた梅干しを食べたときや祖母の家の台所を思い出したとき。そういう時にふと、もう祖母がこの世にいないという喪失感に心が空っぽになります。もっと遊びに行けば良かった、もっと電話すれば良かった、たくさん話をしてたくさんおばあちゃんの笑顔を見ておけばよかった。そんな風に思ってもなんの意味もないけど、いつか祖母がわたしの心の穴にすっぽりおさまるまで、ちゃんと心の穴はそのままに、あいたままにしておきたいです。

 

祖母はいつも電話で「まこ、大丈夫か?元気か?頑張ってるか?」と聞いてきたので、ちゃんと大丈夫だよ、元気だよ、頑張ってるよといつでも言えるようにしていたい。

頑張るのってしんどいけど、でも今日も頑張った!って思うことは大切なので、今のわたしにあるハードルは低いものが多いかもしれないけど、それでもちゃんと飛び越えて一日の終わりには今日も頑張った!と言える毎日を送れたらいいなと思います。