雨の音で目が覚める

当事者研究、たまに呪詛

夫と喧嘩をしています、懲りもせず。

夫と喧嘩をしています、懲りもせず。

 

喧嘩になる原因はいつも同じところで、もうわたしが目を瞑る他解決策はないのではないかと思い始めている。夫には苦手なことがある。相手の立場に立てない、相手の気持ちを想定出来ない、自分の感情の言語化が出来ない、自分の感情を自己処理出来ない。これらは全て夫の幼少期に関わっているのではないかと思う。まあ素人なので単に想像でしかないのだけど。

 

夫は三兄弟の末っ子で、両親は小さな頃から仕事で家を空け、兄二人ともあまり関わり合いはなかったようだ。鍵っ子で放課後は祖母の家や友人の家に行くことも多かったと聞いている。わたしが夫の両親から直接話を聞いたことはないのでこれらは全て夫から聞いた話だが、心ゆくまで甘えたことはないと本人は言っていた。3人も子供がいればそりゃ両親はさぞ忙しかっただろう。全員に満足いくケアが出来たとも思わない。そもそも我々が子供の時に「子供に対するケア」なんて無いのが当たり前だった。子供は放っておいても育つしましてや心のケアなんて認知もされてなかった。それでも夫の両親はしっかり3人を育て上げたように思う。今では3人ともしっかりと職を持ち、これまで道を踏み外すこともなく、そして健康に育っている。

 

外から見たら、夫は立派な大人だと思う。ただ内から見ていると、本当に幼く、悲鳴を上げているようにわたしには見えてしまう。

 

夫は立派だ。長時間労働にも耐え、稼ぎ、きちんと家に帰ってくる。文句は言うが気持ちを切り替えて毎朝職場に向かうし、職場でもある程度楽しそうに過ごしている。ただやはり、家庭や人間関係の中では出来ないこと、苦手なことの方が多い。

 

妻として、夫に関わる人間として何か出来ることはないだろうかとずっと考えてきた。夫の状態に関連のありそうな本を読み、試し、夫にも読むように勧めた。出来ないことはなるべく簡略化して行動に移せるよう提案した。こうして欲しい、これはやめて欲しい、自身のことで察してもらうことは止め、直接言葉にして伝えた。手順も手段もなるべく数多く揃え、その中から夫が出来そうなものを選んでもらった。結果?全滅です。

 

夫は自分の気持ちを伝えることが出来ない。嫌なことを頼まれても断れない。それはどうしてか、自分の気持ちがわからないからだった。人の感情って「嬉しい」だとか「いや」だとか「悲しい」だとか色々なものがあるけれど、でも夫はその「嬉しい」だとか「悲しい」だとか「いや」という名詞が自分の心の状態とリンクしていないようだった。以前こんな会話をしたことがある。

「(怒り出す夫に対し)いまあなた怒ってるよね?さっきわたしにこういわれたことが「いや」だったんじゃない?」

「…○○○に言われて初めて今の自分の感情が「いや」だってわかった」

驚いた顔をしてそういう夫を見て心の底から落ち込んだ。もうどこから手を付けたらいいのかわからない。

 

夫はもしかしたら、幼少期、自分と関わる大人に気持ちの代弁をしてもらったことがないのかもしれない。嫌だったね、嬉しかったね、不安だったね、悲しかったね。そうやって声をかけ関わり合ってくれる大人がどこにもおらず、ずっと名前もわからぬものとただただ一人で向き合ってきたのかもしれない。そう思うと幼少の夫が不憫で、可哀相で、出来ることならタイムスリップして幼い夫に関わってあげたい。そんなバカなことばかり考えてしまう。夫の父親は昔ながらの威厳のある、怒ると怖い、自分では何もしなくても周りに全て察せさせるようなタイプの父親だった。時代だなあと思うけど、そういうお父さんが家にいて、自分を出せるほど夫は強くなく、そして母親も父親サイドにいたために結果、抑圧され育ってきたのかなあなんて思う。

 

ここまで考えてしまうと、夫のことを責められない。出来ないこともそれは出来なくて当然で、出来るようになるにはかなりの時間を有するのだと思う。相手の気持ちがわからなくて当然、夫はまだ自分の気持ちにすら名前もつけられておらず理解も出来ていないから。自分の感情を自己処理出来なくて当然、自分がどんな気持ちでいるのか把握すら出来ていないから。相手の立場に立てなくて当然、そんなことしてもらったことがないから。自分の感情が言語化出来なくて当然、今までそれを促されたことも、代弁してもらうこともなかったから。なんというか、もうわたしでは手に負えないなあと思う。出来れば専門の機関にかかってほしい。一時期カウンセラーである母に良いカウンセラーを紹介してもらう話も出ていたのだが夫も一時は乗り気だったものの今では既に忘れ去っている。

 

夫は記憶力が弱い。約束事はもちろん、自分が怒った原因もとにかく覚えていられない。発達の凹凸ではないかとわたしは思う。幼少期から国語がとにかく苦手だったようだ。ここも発達の凹凸かなあなんて思っている。今でも本を読むことが出来ない。眠くなったり文字がばらけて見えるそうで何も頭の中に入ってこないようだ。今まで本を読んでこなかった分、人間の感情についての理解は浅いのかもしれない。自分の状態を上手く説明できないのも語彙力や文法のパターンが頭に入っていないからだろう。どうして欲しいか自分の要望が直接言えないという夫に、LINEで伝えてだとか、ノートに書いてだとか、わたしから聞くようにするだとか、思いつく限りは全て試したが駄目だった。まず言葉を使うコミュニケートが駄目だったのだ。なんだかマイナスが上手い具合に作用しあって最悪をもたらしている。笑い事じゃない。

 

ここまで書いてきたけど、別に夫の両親が悪いだとか夫の出来ないことが多いだとか、そういうことを言いたいんじゃない。ただもうわたしにはどうしようもない。手は尽くした。それでもまだ何か出来ることはないか、見落としはないかと自分の頭の中の夫を整理したかった。わたしのこの予想や夫図が外れていたらどんなに良いか。祈るしかない。

 

妻であるわたしの声は夫には届かない。夫にはプライドがある。彼の父親がそうだったように。わたしにこれまで散々知ったような口を利かれて彼はさぞ悔しかったろう。反発することでしか自分を守ることが出来なかったのかもしれない。わたしは夫を認めていないわけではない、ただ円満な家庭を目指したかった。わたしの両親のように互いに尊重し合い、認め合い、許し合う夫婦になりたかった。夫にはどんな夫婦像が見えているんだろう。結婚するとは、夫婦になるとはどんなことだと捉えているんだろう。でも夫はまだ、それらを考える場所に辿り着いていないのかもしれない。自分のことで精一杯で、ひたすらに自分を守り、怯え、噛み付き、殻に閉じこもることでしか自分を表現出来ないのかもしれない。夫にはまだ、色々なことが時期早々だったのかもしれないなあなんて思った。ただ、有難いことにわたしは感情の言語化や説明がまだ得意な方だ。少ない語彙力ながらも適切なものを選び、相手に配慮し伝えることが出来る。夫が許してくれさえすれば、夫が自身を認め、手を出してくれさえすれば、出来る限りのことをしたいと思っている。夫が手を出してくるかもわからないが、とにかく今は見守ることしかわたしに出来ることはない。