雨の音で目が覚める

当事者研究、たまに呪詛

物を買うことがとてつもなく恥ずかしいと思うことがある

物を買うことがとてつもなく恥ずかしいと思うことがある。スーパーでは食材を買う時わたしはこんなものを食べるんですと宣言している気になるし、ドラッグストアではわたしはこれらを使って生活しているんですよと触れ回っている気になる。使うトイレットペーパーも洗剤も、旬の野菜や新鮮な魚も全部が羞恥心の元だ。レジでは消えてしまいたいと思いつつもなんでもないような顔をして代金を支払いレシートを受け取る。誰にも見られたくない、知り合いには死んでも会いたくない、そう思いながら袋に詰める。

生理前は毎日が地獄に変わる。物を買うことがこんなにも恥ずかしいと思うのもただ単に生理前だからだ。わかっていても恥ずかしいものは恥ずかしいし嫌だと感じる自分は消えてはくれない。ガサガサと鳴るビニール袋は大嫌いだし、袋詰めをしようと奮闘しても買う量が多いと上手に詰められない。わたしは片付けられない女だ。周りの買い物客は早々袋詰めを終えて去っていく。冷ややかな視線を浴びているような気がして泣くことを堪えながら必死にガサガサとうるさいビニール袋に食材を詰める。わたしはこれを料理して食べるんです、生きているから食べなくちゃいけないんです。みっともないですよね、恥ずかしいですよね。わたしなんかはゴミでも食べてればいいですよね。死んでしまうことは許されていないみたいなんです。だから生きてるんです。ごめんなさい。

こんな鬱々とした買い物客がいるとは店側も迷惑だろうなと帰りの車の中でいつも考える。終わった、やっと終わった。良かった、ちゃんと出来た。帰ってからまた冷蔵庫にしまわなければいけない物たちから目を逸らして帰る。買い物を終えた時、いつもお腹はペコペコだ。