雨の音で目が覚める

当事者研究、たまに呪詛

精神科への通院が辛くなってきた。先生にいろいろと尋ねるのだけど、みんなそうだよとかそれは普通だよとか言われてしまって、「そうなんですか」と言うしかなくなってくる。終いには先生から、なんだかまことさんの聞いてくることって普通のことばっかりで、とか言われる始末。その普通のことで悩んでるんですけど、悩んできたんですけど。みんなと同じだからなんなんですかね、普通だからなんなんですか。その普通のことでえらい落ち込んで悩んできたんですけども。それともみんな死にたくなるくらい同じように悩んで落ち込んで引きこもったりしてるんですかね。そもそも先生の言う「みんな」ってどこからどこまでの人たちなんでしょうか。先生が見てきた患者さんたち?それとも一般的に「普通」と呼ばれる定型発達の人たち?わたしが今まで自分の悩みややりづらさを他人に話したとき、共感してくれたのは唯一発達障害を持つ友人だけでしたけど、それでも先生はまことさんの言うことは普通過ぎて、と言うんですねえ。

 

そんな普通のことで死ぬほど悩んで社会から逃げ出しているわけだけど、やっぱり生きている意味ってないんじゃないかなって最近ずっと考えています。いや、死なないけど。死なないっていうか、ただ死なないから生きてるんですよ。ここに押したら速やかに死ぬスイッチがあればもう万全の準備を持って死にますよ。葬式の準備して夫と友人への手紙書いて暫く料理しなくていいように冷蔵庫と冷凍庫手料理でパンパンにして入れるもんなら生命保険にも加入して、夫に迷惑かけないように全部ちゃんとして死ぬ。それくらい気持ち込めて死ねる。でもそんなスイッチどこにもないんだよな。だから生きてます。ちゃんと死ぬまで生きると思う。

 

そんなんで生きてる意味がないとか考えてるって生ぬるいこと言ってんじゃねえよってメンヘラ総叩きに合いそうなんですが、死ぬのってエネルギー入ります。メンがヘラってた時でも死ねなかったのに薬飲んでない今死ねるわけない。見逃してください。

 

夫の仕事が繁忙期に入ったので毎日起きて、お弁当作ってご飯食べて洗濯して夫のお見送りしてお弁当のおかずと夕飯作ってアイロンかけて家計簿つけて猫と遊んで…って生活をしてますけど、心の隙間に時々ふっと冷たいものが湧いてくるんです。死にたいなあって人に言う事はないけど、生きてるってだけでわたしはしんどいのだなあってそういう時に感じます。生きてるだけで辛いってなんなんでしょうね。

 

PMDDの治療でピルを服薬しているんですけど、あまり効果に実感がありません。生理前にあたる週ではすんごいお腹すくし空腹の時間にはぐわっと落ち込んで泣いて風呂場で泣いたりドライヤーかけながら呪詛を漏らしたり、休薬期間には苛ついて不安になって悲しくてって繰り返して生理始まれば治まり…書いてて思いましたけど全然ピル効いてないですね。ピルで調整しているはずの月経とホルモンバランスに身体がコンディションの悪さを合わせてくる。なんなんだ。来週の通院で先生に話してみよう。

 

子供の頃、母がわたしの発達障害を疑って今かかっている精神科の先生に受診をしていたんですけどその時先生にまことさんはシナプスっていう頭の回路の繋がりが弱くてそれで不安を強く感じるのかも、薬を飲めば治りますよ連れてきてくださいって言われてたらしいんだけど結局わたしは通えなくてそのまま大人になってしまい、さてわたしは未だにその回路の繋がりが悪いんだろうか。婦人科の先生にうちで出している精神薬はシナプスの下にあるセロトニンをためておけるお皿を大きくする薬だよって説明を初診時に受けていて、回路の繋がりが悪かったらどんだけお皿大きくても意味なくね?って素直に疑問なので今度精神科の先生に聞いてみようと思う。いったいわたしの脳と子宮はなんなのか、もうちょっと上手いことやってはくれんものだろうか。

 

母に悩みを打ち明けることが出来なくなってから暫く経ったんですけど、まあしんどいながらもなんとかやっていけてます。27歳にもなって生きているのがしんどいとか他人とうまくコミュニケーション出来ないとか夫にこう言われただのなんだのってもう母には話せないですよね。話される母が不憫すぎる。だってそうじゃないですか、三十路手前の自分の娘にああだこうだ辛い事話されたって母としてはどうしようもない。だからまことさんはうまくやっている、母にはそう思っていて欲しいです。

 

そうすると話す人って友人が夫か、の二択になるんですけど夫に話すって言ってもその夫が問題の原因だったりもするんで無理だし数少ない友人はみんな忙しそうなので引きこもりの子なし専業主婦の話なんてなかなか自分からは出来ない訳ですよ。なのでツイッターにいろいろ呪詛を書き込んだりするんですけどそうするとあっという間にフォロワーが減っていくんですよね。あれは面白かった。なので基本的に自分の話はしない、っていうのがデフォルトになってきているんですが、なんかもうそれでもいいかなあって最近は思えてきてます。たまにこうやってブログにぐだぐだ書くだけ。作文を書くのは子供の頃から好きだったけど知能検査で聞く力が弱いって判明してから一気に苦手意識ついちゃったし書くぞ書くぞ書くぞ!って思わないと書けない。上手に文章を書く人たちを見ると素直にいいなあと思います。

 

少し前に祖母が亡くなりました。突然で、お葬式の最中もどこか夢見心地でただ祖母にありがとうごめんねと伝えることしか出来ませんでした。もう納骨も終わって初盆になるんだけど、時々ふと、ああもうおばあちゃんはいないんだなって思って落ち込んだりしています。本当に何気ないとき、テレビ欄で福井県関連の番組を見たときや、おばあちゃんという単語を見聞きしたとき、自分で漬けた梅干しを食べたときや祖母の家の台所を思い出したとき。そういう時にふと、もう祖母がこの世にいないという喪失感に心が空っぽになります。もっと遊びに行けば良かった、もっと電話すれば良かった、たくさん話をしてたくさんおばあちゃんの笑顔を見ておけばよかった。そんな風に思ってもなんの意味もないけど、いつか祖母がわたしの心の穴にすっぽりおさまるまで、ちゃんと心の穴はそのままに、あいたままにしておきたいです。

 

祖母はいつも電話で「まこ、大丈夫か?元気か?頑張ってるか?」と聞いてきたので、ちゃんと大丈夫だよ、元気だよ、頑張ってるよといつでも言えるようにしていたい。

頑張るのってしんどいけど、でも今日も頑張った!って思うことは大切なので、今のわたしにあるハードルは低いものが多いかもしれないけど、それでもちゃんと飛び越えて一日の終わりには今日も頑張った!と言える毎日を送れたらいいなと思います。

発達障害の診断を受けたことと、精神病に縋っていた頃の話

1か月ほど前に広汎性発達障害の診断を受けた。担当の医師による聞き取りと知能検査の結果、そう判断して良いでしょうとのことだった。IQが低く、知的障害のラインギリギリだね、これだと学校大変だったでしょうと医師に言われた時、ほんの少しだけど子供の頃の自分が救われた気がした。

 

私の母はカウンセラーをしているのだけど、それに関連して大学病院の医師が話す発達障害の講演会に参加する機会があった。講演自体はとてもわかりやすく面白かったのだが、ところどころに散りばめられる発達障害あるあるに会場は時に笑いが洩れていたがわたしはあまり笑えなかった。聞きに来ていたのは主に支援員の方や学校の先生が多かったらしい。講演後の質問タイムでは、発達障害の疑いを持つ子供の親にどうやって伝えるのが良いか、親はショックを受けるのではという質問があり、支援員や教師の方が発達障害をどう見ているのかがわかってしまい、少しショックであった。

これはわたし個人の意見なのだが、なんというか、発達障害が悪いものであるという考え方はあまり好きではない。そりゃあ無い方が良いと思うし、定型発達の人は毎日が楽しいだろうなあと羨むこともめちゃくちゃある。だけど、その人が持つ特性を本人と周囲が理解し、凹凸が少しでも平らになるようなサポートがあれば、その人の持つ特性は障害ではなくなる。発達障害の「害」の字を嫌がる人もいると聞くが、その「害」は発達障害者本人が周囲に与える「害」なのではなく、本人の周りに出来てしまう壁が「障害」なんだとわたしは思う。もちろん一概には言えないし、発達障害に振り回され辟易している方も(本人も周囲も含めて)いると思う。

 

ただわたしの周りにいる発達障害の友人たちは、みんな良くも悪くも一生懸命だ。生きることに、働くことに、生活することに、いつもいつも一生懸命で命をすり減らしている。発達障害といえど千差万別なので一概にこうとは言えないのだけど、でもわたしの知る限り、みんなそんなに頑張っちゃって大丈夫なの…?と心配になるくらい毎日を頑張って生き抜いている。どうか、彼女たちに穏やかな毎日が訪れるよう祈るばかりだ。

 

昨夜、ちょっと思ったことがある。自分が発達障害であるか、なんて思ってもいなかった頃わたしは精神科へ通っていた。夜眠れないところから始まり、抑鬱、引きこもり、リストカットにOD、しまいにゃ薬物の大量摂取により救急車で搬送され閉鎖病棟へ入院が決まるというフルコンボを見事に決め、鞄の中は常に安定剤の卸問屋だった。ずっと過去の自分の行動が理解出来ず今までうやむやにしていたのだけど、わたしはずっと、自分が周りと違う理由を探していたんじゃないかと、昨夜ふと思ったのだ。「どうしてみんなと同じように出来ないんだ」「みんなには容易く理解出来ることがわたしには理解出来ない」「ただ同じようにしたいだけなのに」。17歳から23歳までの間、薬を飲みながらそんなことをずっと考えていたと思う。ただ理由が欲しい、そんなわたしの気持ちを救ってくれたのは精神病だけだった。病気になることがわたしの救いだった。またこれが通っていた精神科の医師と相性がいいのなんの。症状を伝えれば新しい薬が出るし、種類も馬鹿みたいに増えていった。もちろん、どこかに本当の症状は出ていたと思う。あの頃はPMDDの治療もしていなかったし、それに子供の頃から不安はいつも感じていた。精神科通いをやめたのは24歳の春だったと思う。それまで勤めていたバイト先をやめ、このままじゃ良くないと思い通院もやめた。しばらくは眠り方がわからなかったし胸はざわざわするし頭もふらふらするし、そもそもわたしは何をしたらいいんだ?とまっさらな空間の中で右往左往していたけれどその後はきちんと(まあバイトだけど)働けたし、自分が発達障害ではないかと気づくことも出来たし結果としてはまあ良かったと思う。

 

自分が何者であるか、悩んで苦しんで精神病に縋った先にあったのが発達障害だった。んもーどうしてまっすぐ来れなかったものか。今でもたまに思い出すことがある。シートに並んだ薬の色、煙草の煙が立ち込める部屋、泣きながらリストカットした一人暮らしの台所、ご飯を食べすぎてデブになったことも、逆にほとんどご飯を食べられなくなって爪楊枝みたいになったことも、どうして自分を大切にしないのと泣く母の声も、どうしてわたしを生んだんだと母に吐き捨てた自分の声も、たまに思い出しては泣いている。

 

発達障害というものに翻弄されながらも、ようやくここまで来れた。今まで頑張ったね、辛かったね、もう大丈夫だよと過去のわたしを慰めてあげたい。

月に一度、診断を受けた病院へ通っている。医師はこれから謎解きしていこうねと言ってくれ、その言葉通り「みんなと同じように出来ないこと」をノートに書き出し医師に少しずつ尋ねている。それはあなたの特性だね、もう仕方ないよねえ、苦しいことは苦しいままだけど、ちゃんと慣れていくから大丈夫。そう話す医師の前にはきっと、小学生のわたしも中学生のわたしも、高校生のわたしも精神科通いのわたしも、今現在のわたしもみんなが座って時に泣きながら話を聞いているんだろうなと思う。

重たいランドセルを背負ったわたしが大きな声で泣いている

わたしは結婚して専業主婦という役割を手に入れた。夫には感謝しているし家事はわたしが人並みに出来る唯一のものだと思う。今この立ち位置にいるから思うことだろうけど、それでもわたしはこの年になっても未だに学校に通えなかったわたしを認められないままでいる。少し前にわたしは本当は学校に通いたかったのだと気付いた。小学校はもちろん、中学校もちゃんと三年間通いたかったし高校もきちんと三年で卒業したかった。大学にも通ってみたかったし、就職もしてみたかった。挑戦しなかったのはわたしだし、親に多額の費用をかけてもらいやっと二十歳で通信制高校を卒業させてもらったわたしが今さらこんなことを言うのはおかしいのはわかっているのだけど、それでもやっぱりわたしはみんなと同じが良かった。大多数が通る道を通っていたかった。現実を受け入れる強さがわたしにはないからだと思う。人と違うことが怖いしそのせいで上手くいなかったことが悔しい。そのくせ悔しさをバネに出来る体力も器用さも強さもない。十代の頃は人と違うことを力に出来ると思っていたけど、今のわたしにそんな勇気はない。

高校を卒業したことが唯一の救いであるが、同時に凄まじいレッテルがベタベタとわたしに貼り付けられている。一歩も二歩も遅れているわたし、同級生たちはそれぞれに、働き、結婚し、子供を産み、悩み、大多数が通る道を歩いている。喉の奥から手が出るほど羨ましく、妬ましい。今までの自分の経験や関わってきてくれた人や友人、全てがかけがえのないものだけど、わたしはそれすらも大切に出来ず、出来なかったことばかりに目を向けている。誰にでも悩みはある、耳が腐るほど聞いてきた。誰にでも悩みはある、だから黙れってことなんだろうか、愚痴を言うなということなんだろうか、お前の悩みなんかくだらないということなんだろうか。それとも羨ましがるなということか。

でも大多数の人は数字でパニックを起こしたり聞いたことをすぐ忘れたりしないじゃないですか。一か月のうち一週間しか快適な精神衛生じゃないなんてことないじゃないですか。自分の組んだルーティンに首を絞められたり、昔のことを思い出して泣いて喚いて自分も他人も傷付けたり、そんなことしないじゃないですか。訳もなく不安でざわざわして、生きることに臆病になったりしないじゃないですか。きちんと働いて食べて寝て、そういう生活が当たり前のように出来るじゃないですか。

母は昔から、あなたはあなたらしくいて良いんだよと言ってくれていた。それなのにわたしは、みんな同じを良しとする学校教育とあの女教師に未だに縛られ自分を呪い続けている。ふたつの相反する自己の考え方に挟まれて、重たいランドセルを背負ったわたしが大きな声で泣いている。あの女教師にただ認めて欲しかった、人とは違ったかもしれないけどその違いをちゃんと見て欲しかった。人と違う部分こそがわたしだから、そこをちゃんと見て欲しかった。女教師の中にいる子供像とわたしがかけ離れていることはわかっていた、でもちゃんとこちらを見て欲しかった。幼いわたしは大人とは教師とは、そうやって子供を正しく見てくれるものだと信じていたからだ。あの女教師が朝の読書時間に読んでくれる本が大好きだった、あの女教師にただ認められたくて全校生徒の前で作文を読んだ。いつまでもいつまでも、あの女教師に好かれず認められなかった小学生のわたしがわんわんと体育館の中で泣いている。

子供の頃からの自分がぽつぽつとわたしの中に生きていて、ふとした時に彼女たちが泣いて傷ついているのがわかる。幼稚園の頃、友達とかくれんぼをしていたら自分だけ見つけてもらえず出て行った時には他の子はみんなで違う遊びをしていたときのわたしや、小学生の頃、吃音に悩んでいたわたしに担任の女教師が全校生徒の前で作文を読むように勧め、つっかえてパニックになり泣きながら必死で読み終えたのに家でも泣きながら練習してたのかと女教師に笑われたわたし、不登校だったが受験のため通い始め一年なんとか通い担任が取ってくれた推薦で高校に合格したとき、あなたが合格したって誰にも言わないで、不登校だった人がいちばん始めに合格するなんておかしいでしょと担任に言われたわたし、実家の角部屋でひとりこもってパソコンに向き合い、パニックを起こして喚いていたわたし、スクーリング先の茨城でパニックを起こして持っていた薬を全て飲み、結局閉鎖病棟に入院することになったわたし、一人暮らしのアパートの台所で夜中に腕を切りながら泣いていたわたし。

彼女たちはいつも泣いている。苦しそうに悲しそうに、世の中の理不尽さをずっと恨んでいる。わたしは周りとどこが違うのか、何故あんな扱いを受けなければいけなかったのか、どうしてみんな幸せそうに笑えているんだろう。そんな風に自分の過去や周りを恨むことでしか自分を慰められない、かわいそうな彼女たち。

目の前に並ぶ全校生徒の顔も、中学校の教室もクラスメイトも、実家の狭い部屋も、茨城のホテルのベッドの感触も閉鎖病棟の冷たさも、一人暮らしのアパートの床も、全部、隅まで覚えてる。飲んだ薬の触り心地も、ふわふわと脳が揺れる感覚も、切った腕の痛さも血の流れる様も、まだ忘れていない。

今の自分と切り離せない彼女たちを、わたしはどうやって慰めていけば良いのだろう。涙を流し、膝を抱えて座り込む彼女たちをわたしは死ぬまで慰めていかなければいけない。後悔ばかりが胸を埋め尽くしている。どこで間違えたんだ、どこからなら軌道修正が出来たのだろう。社会にいる人間に容赦なく殴られてきた彼女たちの痣は、わたしが社会を許せるまできっと消えはしない。

呪詛

‪そのままで君でいいんだよと人から何度言われても自分の首を自分で絞め続けてしまってその癖は昔から全然直らないので、ありのままの自分とかそのままのわたしとか、えっ全然ダメでしたけど嫌われてきましたけどえっありのままでいたら死ぬしかないんですけどって今まで読んできたけどクソ役に立たなかった自己啓発本でいつか全員殴ってやる‬

絶対的な自己肯定感を持つ人間の前でわたしにあるのは敗北だけだ。今日もジェットコースターのような感情の起伏に気付かないように買い出しを済ませた。何故食事をしなければ生きていけないのか。食を楽しむ人たちはなんて楽しそうなんだろう。アレが美味かった、今度はどこそこに食べに行こう、いつか食べたアレをもう一度食べたいなあ。わたしだって何も考えていない時、自分の内側にある深淵を覗いていない時には食事を楽しむことが出来る。でも一度、その深淵に手を掛け見下ろしてしまったとき、食事というものは一気に嫌悪感の塊となってしまう。

食べて何になるんだ、食べることは生きることだ。早く死に絶えてしまいたいと思う自分が怒り出す。口に物を入れ咀嚼する音も感覚も、吐き気以外何も感じなくなる。食べるということは、自分以外の物を内に取り込むことだ。なんでそんなことをしなくてはならない。汚い、ただその一言に尽きる。わたしのスペースに入って来ないで欲しい、それが食べ物だろうとも、わたしはもう放って置いて欲しいのだ。

自分一人で完結していたい。この気持ちは昔からある。いやいや、そんなんじゃ生きていけないよとお前は言うけど、食事の度に嫌悪感を堪え、他者と接し、役に立たない自分に泣き喚きながら毎日生活しているわたしはすでに死んでいるのだ。もう死んでしまったわたしにお前はまだ生きろというのか。

生まれたときから死んでいたんだ。努力しても叶わない、叶えられないことばかりが周りを囲い、逃げ道もなければ手助けもない。全部自分でやらねばならない、そうだってこれはわたしの人生だから。うるせえ、ほっとけ。

近況報告

インターネットの繋がりは弱い。以前たまに話をしていた方のアカウントが気付けば消えてしまっていた。ブログを拝読しているが、元気だろうか。ここのところよく冷えるし低気圧も定期的にやってくる、わたしはすっかり参ってしまって頭痛や気怠さに辟易しています。

 

来月にはわたしと夫の発達障害について、きちんと医療機関で見てもらおうと思っている。もしこれで発達障害ではないですよ、良かったですねなんて言われたらその場で暴れ回ってしまうのではないかと今からやきもきしているところだ(まぁそんな風に言う医者など居ないことはわかっている)。まずはその医療機関を予約しなければならないのだがわたしは電話が苦手である。かといって夫に任せる訳にといかないのでいつものようにどもり、軽くパニックを起こしながら電話予約をするのだと思う。やってやらねば。

 

最近は夫婦間の問題を客観的な捉えようと自分たちに関連すると思われる本を読むことにしている。

 

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特にこの本は自分の心のキャパシティを広げるにあたりとても良かった。夫に対して理解出来ない部分が少し可視化出来たり、この本の中で夫の問題とされる部分が自分にも当てはまったり、夫の良いところも見え、自分が何を望んでいるかも見えてきた。夫婦ふたり、ひとつのまとまりとなって前に進んで行きたい。夫とそんなイメージで話を出来るようになった、この本のおかげである。

 

猫は8ヶ月になった。去勢手術も無事に終え、太り過ぎることもなく、よく鳴きよく食べ、よく眠る。いつもわたしたちに寄り添ってくれる本当に良い子だ。以前夫と喧嘩になった時、夫がそんなに早く気持ちを切り替えられないと漏らしたことがある。気持ちはよくわかる、よくわかるが、君は自分で自分の気持ちを切り替えようとしているか?ただ忘れるのを待っているだけではないか?自分の機嫌は自分でとらなければ、気持ちが切り替わるように行動しなければそりゃなかなか切り替わらんさと話したことがある。有難いことにわたしたちの傍にはいつでも猫がいるよ、抱っこさせてもらって、撫でさせてもらって、心のトゲトゲしている部分を取らせてもらいなよ。その後ちゃんとありがとうとごめんねを言えばいいよと話した。

猫に限らず動物には不思議な力があると実感している。針山のような心も、ナイフを握り締める心も、涙で濡れてどうしようもないほどの悲しみに暮れる心も全て、人間が寄り添えば、産まれた時のような純朴な心とまではいかないものの、それに似た暖かい心に戻してくれる。

猫は夫にそこまで懐いているわけではないが、撫でさせてやるし抱っこもさせてやる。爪も立てなければ噛みもしない。気がすむまで喧嘩をし、相手をズタズタに傷付けるわたしたちより、猫の方が断然、心が広いのである。

 

夫と同棲を始めたのは去年の11月、どうやら夫と一緒に過ごして一年が経ったらしい。一緒に暮らし始めた頃はお互い自分のことでいっぱいいっぱいの上、スタートラインも揃っていなかった。もしかしたら今でも夫とは同じ場所に立ててはいないかもしれない。それでも少なからず、同じ方向は向いている筈だ。ここまで漕ぎ着けられた自分たちにわたしは「はなまる」をあげたいと思う。

専業主婦として一年過ごしてきたが、今までより少しスキルアップ出来た気がする。家計簿は毎月きちんとつけ続けられているし、日用品を切らしたこともない。毎週水曜日には水回りの掃除をするし、ご飯作りもアイロン掛けも、一人で買い出しも出来る。朝は決まった時間に起きるし、毎日雨戸を開け閉めする。ご飯作りが終わった後にガス台を拭くのも習慣化したし、一日一回水回りのタオルを変えるのも忘れなかった。当たり前のことかもしれないけど今までは出来なかった。全ては専業主婦になったから出来るようになったことだ。専業主婦を許してくれる夫には心から感謝している。

 

友人が次々と出産を経験していく。夫もわたしも焦っているが、こればかりはどうしようもない。喧嘩は起こるし夫は怒りをコントロール出来ない。根は深いところにある、今はその根に手が届くまで、ただふたりで手を繋ぎ合っていくしかない。子供を持っても持たなくても、それぞれがそれぞれの形で幸せになれればそれで良い、そういう世の中になれば良いのになぁと、心から思う。

 

 

夫と喧嘩をしています、懲りもせず。

夫と喧嘩をしています、懲りもせず。

 

喧嘩になる原因はいつも同じところで、もうわたしが目を瞑る他解決策はないのではないかと思い始めている。夫には苦手なことがある。相手の立場に立てない、相手の気持ちを想定出来ない、自分の感情の言語化が出来ない、自分の感情を自己処理出来ない。これらは全て夫の幼少期に関わっているのではないかと思う。まあ素人なので単に想像でしかないのだけど。

 

夫は三兄弟の末っ子で、両親は小さな頃から仕事で家を空け、兄二人ともあまり関わり合いはなかったようだ。鍵っ子で放課後は祖母の家や友人の家に行くことも多かったと聞いている。わたしが夫の両親から直接話を聞いたことはないのでこれらは全て夫から聞いた話だが、心ゆくまで甘えたことはないと本人は言っていた。3人も子供がいればそりゃ両親はさぞ忙しかっただろう。全員に満足いくケアが出来たとも思わない。そもそも我々が子供の時に「子供に対するケア」なんて無いのが当たり前だった。子供は放っておいても育つしましてや心のケアなんて認知もされてなかった。それでも夫の両親はしっかり3人を育て上げたように思う。今では3人ともしっかりと職を持ち、これまで道を踏み外すこともなく、そして健康に育っている。

 

外から見たら、夫は立派な大人だと思う。ただ内から見ていると、本当に幼く、悲鳴を上げているようにわたしには見えてしまう。

 

夫は立派だ。長時間労働にも耐え、稼ぎ、きちんと家に帰ってくる。文句は言うが気持ちを切り替えて毎朝職場に向かうし、職場でもある程度楽しそうに過ごしている。ただやはり、家庭や人間関係の中では出来ないこと、苦手なことの方が多い。

 

妻として、夫に関わる人間として何か出来ることはないだろうかとずっと考えてきた。夫の状態に関連のありそうな本を読み、試し、夫にも読むように勧めた。出来ないことはなるべく簡略化して行動に移せるよう提案した。こうして欲しい、これはやめて欲しい、自身のことで察してもらうことは止め、直接言葉にして伝えた。手順も手段もなるべく数多く揃え、その中から夫が出来そうなものを選んでもらった。結果?全滅です。

 

夫は自分の気持ちを伝えることが出来ない。嫌なことを頼まれても断れない。それはどうしてか、自分の気持ちがわからないからだった。人の感情って「嬉しい」だとか「いや」だとか「悲しい」だとか色々なものがあるけれど、でも夫はその「嬉しい」だとか「悲しい」だとか「いや」という名詞が自分の心の状態とリンクしていないようだった。以前こんな会話をしたことがある。

「(怒り出す夫に対し)いまあなた怒ってるよね?さっきわたしにこういわれたことが「いや」だったんじゃない?」

「…○○○に言われて初めて今の自分の感情が「いや」だってわかった」

驚いた顔をしてそういう夫を見て心の底から落ち込んだ。もうどこから手を付けたらいいのかわからない。

 

夫はもしかしたら、幼少期、自分と関わる大人に気持ちの代弁をしてもらったことがないのかもしれない。嫌だったね、嬉しかったね、不安だったね、悲しかったね。そうやって声をかけ関わり合ってくれる大人がどこにもおらず、ずっと名前もわからぬものとただただ一人で向き合ってきたのかもしれない。そう思うと幼少の夫が不憫で、可哀相で、出来ることならタイムスリップして幼い夫に関わってあげたい。そんなバカなことばかり考えてしまう。夫の父親は昔ながらの威厳のある、怒ると怖い、自分では何もしなくても周りに全て察せさせるようなタイプの父親だった。時代だなあと思うけど、そういうお父さんが家にいて、自分を出せるほど夫は強くなく、そして母親も父親サイドにいたために結果、抑圧され育ってきたのかなあなんて思う。

 

ここまで考えてしまうと、夫のことを責められない。出来ないこともそれは出来なくて当然で、出来るようになるにはかなりの時間を有するのだと思う。相手の気持ちがわからなくて当然、夫はまだ自分の気持ちにすら名前もつけられておらず理解も出来ていないから。自分の感情を自己処理出来なくて当然、自分がどんな気持ちでいるのか把握すら出来ていないから。相手の立場に立てなくて当然、そんなことしてもらったことがないから。自分の感情が言語化出来なくて当然、今までそれを促されたことも、代弁してもらうこともなかったから。なんというか、もうわたしでは手に負えないなあと思う。出来れば専門の機関にかかってほしい。一時期カウンセラーである母に良いカウンセラーを紹介してもらう話も出ていたのだが夫も一時は乗り気だったものの今では既に忘れ去っている。

 

夫は記憶力が弱い。約束事はもちろん、自分が怒った原因もとにかく覚えていられない。発達の凹凸ではないかとわたしは思う。幼少期から国語がとにかく苦手だったようだ。ここも発達の凹凸かなあなんて思っている。今でも本を読むことが出来ない。眠くなったり文字がばらけて見えるそうで何も頭の中に入ってこないようだ。今まで本を読んでこなかった分、人間の感情についての理解は浅いのかもしれない。自分の状態を上手く説明できないのも語彙力や文法のパターンが頭に入っていないからだろう。どうして欲しいか自分の要望が直接言えないという夫に、LINEで伝えてだとか、ノートに書いてだとか、わたしから聞くようにするだとか、思いつく限りは全て試したが駄目だった。まず言葉を使うコミュニケートが駄目だったのだ。なんだかマイナスが上手い具合に作用しあって最悪をもたらしている。笑い事じゃない。

 

ここまで書いてきたけど、別に夫の両親が悪いだとか夫の出来ないことが多いだとか、そういうことを言いたいんじゃない。ただもうわたしにはどうしようもない。手は尽くした。それでもまだ何か出来ることはないか、見落としはないかと自分の頭の中の夫を整理したかった。わたしのこの予想や夫図が外れていたらどんなに良いか。祈るしかない。

 

妻であるわたしの声は夫には届かない。夫にはプライドがある。彼の父親がそうだったように。わたしにこれまで散々知ったような口を利かれて彼はさぞ悔しかったろう。反発することでしか自分を守ることが出来なかったのかもしれない。わたしは夫を認めていないわけではない、ただ円満な家庭を目指したかった。わたしの両親のように互いに尊重し合い、認め合い、許し合う夫婦になりたかった。夫にはどんな夫婦像が見えているんだろう。結婚するとは、夫婦になるとはどんなことだと捉えているんだろう。でも夫はまだ、それらを考える場所に辿り着いていないのかもしれない。自分のことで精一杯で、ひたすらに自分を守り、怯え、噛み付き、殻に閉じこもることでしか自分を表現出来ないのかもしれない。夫にはまだ、色々なことが時期早々だったのかもしれないなあなんて思った。ただ、有難いことにわたしは感情の言語化や説明がまだ得意な方だ。少ない語彙力ながらも適切なものを選び、相手に配慮し伝えることが出来る。夫が許してくれさえすれば、夫が自身を認め、手を出してくれさえすれば、出来る限りのことをしたいと思っている。夫が手を出してくるかもわからないが、とにかく今は見守ることしかわたしに出来ることはない。