雨の音で目が覚める

当事者研究、たまに呪詛

呪詛

‪そのままで君でいいんだよと人から何度言われても自分の首を自分で絞め続けてしまってその癖は昔から全然直らないので、ありのままの自分とかそのままのわたしとか、えっ全然ダメでしたけど嫌われてきましたけどえっありのままでいたら死ぬしかないんですけどって今まで読んできたけどクソ役に立たなかった自己啓発本でいつか全員殴ってやる‬

絶対的な自己肯定感を持つ人間の前でわたしにあるのは敗北だけだ。今日もジェットコースターのような感情の起伏に気付かないように買い出しを済ませた。何故食事をしなければ生きていけないのか。食を楽しむ人たちはなんて楽しそうなんだろう。アレが美味かった、今度はどこそこに食べに行こう、いつか食べたアレをもう一度食べたいなあ。わたしだって何も考えていない時、自分の内側にある深淵を覗いていない時には食事を楽しむことが出来る。でも一度、その深淵に手を掛け見下ろしてしまったとき、食事というものは一気に嫌悪感の塊となってしまう。

食べて何になるんだ、食べることは生きることだ。早く死に絶えてしまいたいと思う自分が怒り出す。口に物を入れ咀嚼する音も感覚も、吐き気以外何も感じなくなる。食べるということは、自分以外の物を内に取り込むことだ。なんでそんなことをしなくてはならない。汚い、ただその一言に尽きる。わたしのスペースに入って来ないで欲しい、それが食べ物だろうとも、わたしはもう放って置いて欲しいのだ。

自分一人で完結していたい。この気持ちは昔からある。いやいや、そんなんじゃ生きていけないよとお前は言うけど、食事の度に嫌悪感を堪え、他者と接し、役に立たない自分に泣き喚きながら毎日生活しているわたしはすでに死んでいるのだ。もう死んでしまったわたしにお前はまだ生きろというのか。

生まれたときから死んでいたんだ。努力しても叶わない、叶えられないことばかりが周りを囲い、逃げ道もなければ手助けもない。全部自分でやらねばならない、そうだってこれはわたしの人生だから。うるせえ、ほっとけ。

近況報告

インターネットの繋がりは弱い。以前たまに話をしていた方のアカウントが気付けば消えてしまっていた。ブログを拝読しているが、元気だろうか。ここのところよく冷えるし低気圧も定期的にやってくる、わたしはすっかり参ってしまって頭痛や気怠さに辟易しています。

 

来月にはわたしと夫の発達障害について、きちんと医療機関で見てもらおうと思っている。もしこれで発達障害ではないですよ、良かったですねなんて言われたらその場で暴れ回ってしまうのではないかと今からやきもきしているところだ(まぁそんな風に言う医者など居ないことはわかっている)。まずはその医療機関を予約しなければならないのだがわたしは電話が苦手である。かといって夫に任せる訳にといかないのでいつものようにどもり、軽くパニックを起こしながら電話予約をするのだと思う。やってやらねば。

 

最近は夫婦間の問題を客観的な捉えようと自分たちに関連すると思われる本を読むことにしている。

 

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特にこの本は自分の心のキャパシティを広げるにあたりとても良かった。夫に対して理解出来ない部分が少し可視化出来たり、この本の中で夫の問題とされる部分が自分にも当てはまったり、夫の良いところも見え、自分が何を望んでいるかも見えてきた。夫婦ふたり、ひとつのまとまりとなって前に進んで行きたい。夫とそんなイメージで話を出来るようになった、この本のおかげである。

 

猫は8ヶ月になった。去勢手術も無事に終え、太り過ぎることもなく、よく鳴きよく食べ、よく眠る。いつもわたしたちに寄り添ってくれる本当に良い子だ。以前夫と喧嘩になった時、夫がそんなに早く気持ちを切り替えられないと漏らしたことがある。気持ちはよくわかる、よくわかるが、君は自分で自分の気持ちを切り替えようとしているか?ただ忘れるのを待っているだけではないか?自分の機嫌は自分でとらなければ、気持ちが切り替わるように行動しなければそりゃなかなか切り替わらんさと話したことがある。有難いことにわたしたちの傍にはいつでも猫がいるよ、抱っこさせてもらって、撫でさせてもらって、心のトゲトゲしている部分を取らせてもらいなよ。その後ちゃんとありがとうとごめんねを言えばいいよと話した。

猫に限らず動物には不思議な力があると実感している。針山のような心も、ナイフを握り締める心も、涙で濡れてどうしようもないほどの悲しみに暮れる心も全て、人間が寄り添えば、産まれた時のような純朴な心とまではいかないものの、それに似た暖かい心に戻してくれる。

猫は夫にそこまで懐いているわけではないが、撫でさせてやるし抱っこもさせてやる。爪も立てなければ噛みもしない。気がすむまで喧嘩をし、相手をズタズタに傷付けるわたしたちより、猫の方が断然、心が広いのである。

 

夫と同棲を始めたのは去年の11月、どうやら夫と一緒に過ごして一年が経ったらしい。一緒に暮らし始めた頃はお互い自分のことでいっぱいいっぱいの上、スタートラインも揃っていなかった。もしかしたら今でも夫とは同じ場所に立ててはいないかもしれない。それでも少なからず、同じ方向は向いている筈だ。ここまで漕ぎ着けられた自分たちにわたしは「はなまる」をあげたいと思う。

専業主婦として一年過ごしてきたが、今までより少しスキルアップ出来た気がする。家計簿は毎月きちんとつけ続けられているし、日用品を切らしたこともない。毎週水曜日には水回りの掃除をするし、ご飯作りもアイロン掛けも、一人で買い出しも出来る。朝は決まった時間に起きるし、毎日雨戸を開け閉めする。ご飯作りが終わった後にガス台を拭くのも習慣化したし、一日一回水回りのタオルを変えるのも忘れなかった。当たり前のことかもしれないけど今までは出来なかった。全ては専業主婦になったから出来るようになったことだ。専業主婦を許してくれる夫には心から感謝している。

 

友人が次々と出産を経験していく。夫もわたしも焦っているが、こればかりはどうしようもない。喧嘩は起こるし夫は怒りをコントロール出来ない。根は深いところにある、今はその根に手が届くまで、ただふたりで手を繋ぎ合っていくしかない。子供を持っても持たなくても、それぞれがそれぞれの形で幸せになれればそれで良い、そういう世の中になれば良いのになぁと、心から思う。

 

 

夫と喧嘩をしています、懲りもせず。

夫と喧嘩をしています、懲りもせず。

 

喧嘩になる原因はいつも同じところで、もうわたしが目を瞑る他解決策はないのではないかと思い始めている。夫には苦手なことがある。相手の立場に立てない、相手の気持ちを想定出来ない、自分の感情の言語化が出来ない、自分の感情を自己処理出来ない。これらは全て夫の幼少期に関わっているのではないかと思う。まあ素人なので単に想像でしかないのだけど。

 

夫は三兄弟の末っ子で、両親は小さな頃から仕事で家を空け、兄二人ともあまり関わり合いはなかったようだ。鍵っ子で放課後は祖母の家や友人の家に行くことも多かったと聞いている。わたしが夫の両親から直接話を聞いたことはないのでこれらは全て夫から聞いた話だが、心ゆくまで甘えたことはないと本人は言っていた。3人も子供がいればそりゃ両親はさぞ忙しかっただろう。全員に満足いくケアが出来たとも思わない。そもそも我々が子供の時に「子供に対するケア」なんて無いのが当たり前だった。子供は放っておいても育つしましてや心のケアなんて認知もされてなかった。それでも夫の両親はしっかり3人を育て上げたように思う。今では3人ともしっかりと職を持ち、これまで道を踏み外すこともなく、そして健康に育っている。

 

外から見たら、夫は立派な大人だと思う。ただ内から見ていると、本当に幼く、悲鳴を上げているようにわたしには見えてしまう。

 

夫は立派だ。長時間労働にも耐え、稼ぎ、きちんと家に帰ってくる。文句は言うが気持ちを切り替えて毎朝職場に向かうし、職場でもある程度楽しそうに過ごしている。ただやはり、家庭や人間関係の中では出来ないこと、苦手なことの方が多い。

 

妻として、夫に関わる人間として何か出来ることはないだろうかとずっと考えてきた。夫の状態に関連のありそうな本を読み、試し、夫にも読むように勧めた。出来ないことはなるべく簡略化して行動に移せるよう提案した。こうして欲しい、これはやめて欲しい、自身のことで察してもらうことは止め、直接言葉にして伝えた。手順も手段もなるべく数多く揃え、その中から夫が出来そうなものを選んでもらった。結果?全滅です。

 

夫は自分の気持ちを伝えることが出来ない。嫌なことを頼まれても断れない。それはどうしてか、自分の気持ちがわからないからだった。人の感情って「嬉しい」だとか「いや」だとか「悲しい」だとか色々なものがあるけれど、でも夫はその「嬉しい」だとか「悲しい」だとか「いや」という名詞が自分の心の状態とリンクしていないようだった。以前こんな会話をしたことがある。

「(怒り出す夫に対し)いまあなた怒ってるよね?さっきわたしにこういわれたことが「いや」だったんじゃない?」

「…○○○に言われて初めて今の自分の感情が「いや」だってわかった」

驚いた顔をしてそういう夫を見て心の底から落ち込んだ。もうどこから手を付けたらいいのかわからない。

 

夫はもしかしたら、幼少期、自分と関わる大人に気持ちの代弁をしてもらったことがないのかもしれない。嫌だったね、嬉しかったね、不安だったね、悲しかったね。そうやって声をかけ関わり合ってくれる大人がどこにもおらず、ずっと名前もわからぬものとただただ一人で向き合ってきたのかもしれない。そう思うと幼少の夫が不憫で、可哀相で、出来ることならタイムスリップして幼い夫に関わってあげたい。そんなバカなことばかり考えてしまう。夫の父親は昔ながらの威厳のある、怒ると怖い、自分では何もしなくても周りに全て察せさせるようなタイプの父親だった。時代だなあと思うけど、そういうお父さんが家にいて、自分を出せるほど夫は強くなく、そして母親も父親サイドにいたために結果、抑圧され育ってきたのかなあなんて思う。

 

ここまで考えてしまうと、夫のことを責められない。出来ないこともそれは出来なくて当然で、出来るようになるにはかなりの時間を有するのだと思う。相手の気持ちがわからなくて当然、夫はまだ自分の気持ちにすら名前もつけられておらず理解も出来ていないから。自分の感情を自己処理出来なくて当然、自分がどんな気持ちでいるのか把握すら出来ていないから。相手の立場に立てなくて当然、そんなことしてもらったことがないから。自分の感情が言語化出来なくて当然、今までそれを促されたことも、代弁してもらうこともなかったから。なんというか、もうわたしでは手に負えないなあと思う。出来れば専門の機関にかかってほしい。一時期カウンセラーである母に良いカウンセラーを紹介してもらう話も出ていたのだが夫も一時は乗り気だったものの今では既に忘れ去っている。

 

夫は記憶力が弱い。約束事はもちろん、自分が怒った原因もとにかく覚えていられない。発達の凹凸ではないかとわたしは思う。幼少期から国語がとにかく苦手だったようだ。ここも発達の凹凸かなあなんて思っている。今でも本を読むことが出来ない。眠くなったり文字がばらけて見えるそうで何も頭の中に入ってこないようだ。今まで本を読んでこなかった分、人間の感情についての理解は浅いのかもしれない。自分の状態を上手く説明できないのも語彙力や文法のパターンが頭に入っていないからだろう。どうして欲しいか自分の要望が直接言えないという夫に、LINEで伝えてだとか、ノートに書いてだとか、わたしから聞くようにするだとか、思いつく限りは全て試したが駄目だった。まず言葉を使うコミュニケートが駄目だったのだ。なんだかマイナスが上手い具合に作用しあって最悪をもたらしている。笑い事じゃない。

 

ここまで書いてきたけど、別に夫の両親が悪いだとか夫の出来ないことが多いだとか、そういうことを言いたいんじゃない。ただもうわたしにはどうしようもない。手は尽くした。それでもまだ何か出来ることはないか、見落としはないかと自分の頭の中の夫を整理したかった。わたしのこの予想や夫図が外れていたらどんなに良いか。祈るしかない。

 

妻であるわたしの声は夫には届かない。夫にはプライドがある。彼の父親がそうだったように。わたしにこれまで散々知ったような口を利かれて彼はさぞ悔しかったろう。反発することでしか自分を守ることが出来なかったのかもしれない。わたしは夫を認めていないわけではない、ただ円満な家庭を目指したかった。わたしの両親のように互いに尊重し合い、認め合い、許し合う夫婦になりたかった。夫にはどんな夫婦像が見えているんだろう。結婚するとは、夫婦になるとはどんなことだと捉えているんだろう。でも夫はまだ、それらを考える場所に辿り着いていないのかもしれない。自分のことで精一杯で、ひたすらに自分を守り、怯え、噛み付き、殻に閉じこもることでしか自分を表現出来ないのかもしれない。夫にはまだ、色々なことが時期早々だったのかもしれないなあなんて思った。ただ、有難いことにわたしは感情の言語化や説明がまだ得意な方だ。少ない語彙力ながらも適切なものを選び、相手に配慮し伝えることが出来る。夫が許してくれさえすれば、夫が自身を認め、手を出してくれさえすれば、出来る限りのことをしたいと思っている。夫が手を出してくるかもわからないが、とにかく今は見守ることしかわたしに出来ることはない。

こちら、無料で乗れる特別なジェットコースターで御座います

どん底にいるようだ。自分が何のために存在しているのか、また分からなくなっている。規則正しい生活をしているが、そろそろ限界が近付いているのが手に取るようにわかる。全ては生理前の不調のせいだ。

 

この不調に終わりが来るのはわかっている。生理が始まれば落ち込みは続くものの少し気分は良くなってくる。痛みに耐えればその先は明るい事を経験から知っているからだ。生理が終わればハッピーな一週間の始まり。尻を叩かれるように外に出て、今まで出来なかったことを手当り次第に試していく。その中には焦りがある。リミットは一週間しかないからだ。ハッピーな一週間などあっという間に終わってしまう。何故だか気分が優れない日が続き、次第にミスが増え眠れなくなり怒りっぽくなる。夫に当たり、自分を怨み、癇癪を起こしては家を飛び出す。気付けば生後前の不調の最中にいるのだ。

 

何のための一ヶ月なんだ?何のためにわたしはこのジェットコースターに乗り続けている?

 

出来ることは限られている。治療だってたくさん試したが効果はない。金と気力がなくなるだけだ。何のための時間、何のための毎日、何のための人生。

 

結婚し両親から離れた。今まで本当にたくさんの迷惑や援助をしてもらった。結婚することで、両親に恩返しが出来ると思った。わたしは一人では生きていけない、満足に金を稼ぐことが出来ないからだ。自分一人も養えない。夫はそんなわたしと一緒になってくれた、専業主婦で良いと言ってくれた。わたしは夫に何が出来る、金食い虫のわたしに、恐ろしいスピードで走るジェットコースターに乗り続けるわたしに何が出来る。

 

両親に恩返しなどとんでもなかったのだと気付く。挙式が終わって三ヶ月、見ない振り気付かない振りをしてきたが、今足元には暗闇が広がっている。依存先が変わっただけ、寄生先が変わっただけだ。

 

生まれてこなければ良かった、すぐそんなことを思う。なんの解決にもならない自己叱責ばかりを繰り返し己を嫌い己を怨み、それが周囲を傷付けるとわたしは昔気付いたはずなのに。

 

無料で乗れる特別なジェットコースターは一度乗ったら降りることは出来ない。常に激しく揺さぶられ、緩やかなスピードになるのはほんの少しの間だけ。周囲の声は届かない、風の音しか聞こえない、自分の悲鳴も聞こえない。涙は際限なく溢れる、手元もろくに見えない、止めてくれとどれだけ叫んでも呼吸が苦しくなるだけだ。周りの人は楽しそうに歩いている、いいな、わたしもここから降りてゆったり歩きたい、楽しみたい。いつになったら叶うのか、どれだけ耐えれば全てが終わるのか。何のためにわたしはこんな苦しい思いを辛い思いをしているのか。

 

今はまだ、周囲を傷付けることしか出来ていない。

近況

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猫と一週間過ごした。とてもかわいい子だった。夫の仕事が繁忙期に入るので、その前にわたしが寂しくないようにと夫も快く猫を迎える準備をしてくれた。昔から動物は好きで子供の頃から飼いたいと思っていたのだが、父がどうやら動物嫌いらしくその夢はなかなか叶わなかった。結婚して初めて、やっとペットを飼えることになった。

同じ県内でタイミング良く里親募集が見つかった。夫に相談し準備期間を経て我が家に迎えることが出来た。本当にかわいい子で母も帰省していた姉も気に入ってくれていた。

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ソファとクッションの間に挟まってよく寝てた。ごろごろとうるさいくらいにのどを鳴らしてたくさん甘えてくれた。たまに溜息をついていて、とても人間らしい子だなあと思った。爪を切るのも嫌がらず、水もよく飲み、お気に入りのおもちゃで飽きずにたくさん遊んだ。

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名前は「こむぎ」。茶トラ白の男の子。お母さん猫の名前を少しもらって、焼き立ての食パンみたいな色からこの名前をつけた。我が家に来たその日からソファの一角はすっかりこむぎの特等席で、丸くなったりバンザイをして寝ていた。

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お鼻はきれいなピンク色だった、肉球とお揃い。前足にはちょっと色がある。しっぽは鍵しっぽでちょっと短め。鍵しっぽの猫はしっぽの先に幸せを引っかけてくる。本当にそうかもしれないなあって思った。

よく人に慣れていて、膝の上で寝ることも多かった。トイレするから見てて、お水飲むから見てて、爪とぎするから見てて、ねえ撫でてよってたくさん鳴く子で、ひとりで家にいても寂しさは少しも感じなかった。

 

今まで猫に触れても何ともなかったのだけど、こむぎが家に来てから湿疹が出るようになった。夫には何も症状がなかったので私の体質の問題なのだと思う。一週間様子を見て、夫とよく話し合い、こむぎを元の飼い主さんにお返しすることにした。飼い主さんはたまにあることだから気にしなくていいですよと言ってくれた。飼い主さんのお宅にこむぎを連れて行って、帰宅した家の静かさにふたりで泣いてしまった。その日から我が家は火が消えたように静かでなんだか暗い。わたしもすっかり落ち込んで毎日をメソメソと過ごしているところです。

 

先日幼稚園時代の友人のお宅で母猫と子猫を保護したとのことで遊びに行かせてもらったんだけど、やっぱり湿疹が出てしまい帰宅後に同じようにかゆくなるならこむぎが良いと夫を困らせることを散々言ってしまった。その日からどうにも元気が出ずこのありさま。

 

結婚式も旅行も終わって頑張ることがなくなってしまった気がする。夫は仕事が繁忙期に入るので休みはほぼなし、子供を作ろうったってそんな時間はねえ。そもそもPMDDで毎月関係が拗れているわたしたちにとっては子作りっていうもののハードルがそもそも高いのだ。働こうにも夫の繁忙期中に新しいことを始めて無事死亡し共倒れになるのは目に見えている。そうそうわたしにはほかの人が当たり前に出来ていることが何もできなかったんだって再確認してまた落ち込んだ。目の前からふっとあるはずだったものが無くなって、ただ毎日なんとなく過ごしている。ニートだった時と全然変わんないじゃん、依存先が親から夫に変わっただけじゃん。何のためにここにいるのか、ちょっとしたことで足元がぐらつくし今まで何をして過ごしてたのか思い出せない。夫に申し訳ない気持ちと、自分へのいら立ちと、なんとなくの絶望感でやられています。

 

 

 

 

ここ最近の地獄について

今月もやっと嵐のような生理期間が終わりつつあるので振り返って書こうと思う。本当は生理期間中に書くべきなんだけど鬱々していてそれどころじゃなかった。

 

PMDDって本当に不思議なもので過ぎ去ってしまうと何も覚えていないことが殆どだ。鬱々していた気分もどこへやら、苛々していた気分もどこへやら…。今はまあまあフラットな精神状態を保ちつつ、荒れている部屋を片付けいつもの生活リズムに則って1日を消費する。そんな感じ。

 

さて今月は「ニュートラル期間」の終わりから生理1週間前に当たる「ネガティブキャンペーン期間」をほぼ毎日めそめそ泣いてキリキリ怒り、溜まった鬱憤を爆発させて過ごしてしまった。一昨日までは彼氏と酷い喧嘩をしていたので生理期間中もずっと「ネガティブキャンペーン」と「大爆発」を繰り返していたのだと思う。以前は生理が始まると共に苛つきも少しは治まりPMSにうなだれつつ過ごせていたのだがここ半年程は生理が完全に終わるまでPMDDの症状は続くようになっている。

 

今月は物忘れやルーティンが崩れることに対しての苛つき、部屋が片付けられなくなったり相手の気持ちがさし測れないことが多かったように思う。加えて菩薩期間の自分と今現在の自分との違いに戸惑うことが多々あった。LINEのやり取りをする時や顔を合わせて話す時の言葉の受け取り方など、菩薩期間やニュートラル期間の自分と違う気がして「自分が自分でない感覚」というか、「本当の自分がもう一人の自分に覆われてしまっている感覚」が強くあった。反射的に話してしまい自分の言いたかったことが伝えられなかったり普段しないような敵意があると受け取られかねない言葉や言い回しをしてしまったりとにかく違和感が強かった。これには本当に参ってしまいとにかく多く謝ったり弁解などをしたがそれもまた大きなストレスだったように思う。

過眠も強く出た。夜はとにかく眠くて彼氏に謝って早く寝ようと自分の部屋に行くのだが小さな物音で目がさえてしまったり、身体が火照って寝つけないことも多かった。寝坊することも増え、朝決まった時間に起きれず大慌てで弁当を作ったが片付けが思うようにいかずパニックを起こして泣き始めてしまうことが2回ほどあった。彼氏はどうしたらいいかわからなくなることが多く、結局喧嘩になり険悪な空気で過ごした日も多い。こうしてね、こうしてくれると嬉しいよ、と彼氏にはお願いしていることもあるのだが実際にパニックを起こして泣いている人間を見るとまあなかなか思い通りにいかなかったり、彼氏自身の気持ちもマイナス方面につられてしまったりするらしく毎月毎回全然うまくいっていない。仕方ないと割り切ってはいるものの、まあ割り切れてはおらずなんでこんなに喧嘩ばっかりなんじゃー!ふざけんなー!とまくし立ててしまうこともある。先日まくし立てました、すいません。

 

母に話を聞いてもらったり好きなことをして自分のモヤモヤをある程度は解消しようとするのだがまあそんなにうまく解消出来たら苦労はしてないわけで。今月も怒鳴り合いの喧嘩をし、わたしが家を出て実家に帰り、例のごとく彼氏が死ぬほど反省をし、これから頑張る!気を付ける!と仲直りをするいつものパターンでした。ほんと文字にするとめちゃくちゃ馬鹿らしくて嫌になるなこれ。

 

そういえば今月はいつもと違うことがひとつあった。5日ほど前のことなのだが、以前精神科に通っているときに薬の副作用かなんか知らんが症状が出た「ムズムズ脚症候群」に似た感覚がガツンときた。生理前にもストレスが溜まると腰や足にムズムズした感覚がくることがあり、多分骨盤や股関節にストレスがきやすい体質なんだろうと自分では思っている。就寝前にこのムズムズと情緒不安定が同時に来たので早々に部屋にこもり脚を叩いてみたり思いっきり泣いたり落ち着こうと身体を揺すったり、試行錯誤をして終いに泣き疲れて寝た。彼氏は心配をして何度か声をかけてくれたが話を聞いてもらおうにもあまりに不安定だったのでこれはいかんと追い返し、なんでもないを通したのだがまあこれが結局翌日彼からの八つ当たりの原因になったんだけどこれはもうわたし自身の問題なので今後も同じことがあれば同じようにすると思う。薬もあるので同じような症状で困っている方がいれば医療機関に相談してみたり食生活の改善や運動等を取り入れてみるといいと思う。

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 大体2ヶ月に1回のペースでPMDDの症状が重い月がくる。鬱々とする他、口内過敏が強くなり歯磨きする度にえずく。地味に嫌だ。今月は気圧の変化にも強く反応した。春は仕方ないけどもかなりキツイ。来月は少し軽いと良い。

彼氏とする喧嘩についてはわたし側からしか今日は書いていないので問題点や改善点等、また今度冷静に見てみたいと思う。

わたしの全てがそこにあった。あの部屋はわたしの城だった。

パソコンの中を久しぶりに見返して昔撮った写真などを見返していた。精神は今よりずっと不安定で暗闇の中必死に出口を探しているような毎日だった。高校も満足に通えずやっとの思いで通信制を卒業した時にはわたしはもう二十歳だった。

 

 

実家の部屋は今でもたまに思い出す。赤地に白の水玉模様をしたベッドカバー、父に買ってもらった小さいパソコン、サイコロ型の大きな灰皿となくさないよういつも身に着けていた銀色のジッポ。わたしの全てがそこにあった。あの部屋はわたしの城だった。

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夕方に起きて明け方に眠る。夜中にご飯を食べて両親が仕事に出かけると風呂に入った。土日は憂鬱だった。人の気配がして落ち着かない。どうか昼間目が覚めませんようにと眠剤を飲んだ。インターネットが全てだった。いろんな人と話をした。今でも連絡を取り合う人は一人だけだ。みんなどうしているんだろう、寝つきが悪い日は必ず思い出す。

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グレープフルーツジュースが好きだった。酸っぱくて苦い、でも甘い。母に頼んでたくさん買ってきてもらった。知り合いにもらった携帯用冷蔵庫に詰め込んでいつでも冷たく飲めるようにした。煙草を吸って薬を飲んで眠る。母の作るご飯が食べられなくなった。手作りに耐え切れなくてご飯は全てレトルトにしてもらった。電子レンジで温めてお湯を注いでそれらを食べて過ごした。あんなに美味しいと感じた母の料理を気持ち悪いと感じるわたしはなんて恩知らずなのだろうと思った。

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自傷癖は長くあった。腕や手を切ると気持ちが楽になった。血が出ている場所に意識がいって自分が持つ不安や胸の痛みから目を逸らすことが出来る。やりたくなかった、やりたくなかったけどそれよりも不安でいることが辛かった。写真が好きでよく撮った。自分が切った後の腕も撮った。見返しても当時は辛かったんだなと思うしかない。

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冬になると父が部屋は寒いだろうと暖房器具を買ってくれた。部屋はとても暖かくなった。毎日パソコンに向かってアニメを消費した。遊戯王シリーズをテレビ放送に追いつくまで3か月半で見た。やることがあって嬉しかった。

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ずっと一人でいた。このまま一人でいたいと思った。世の中は厳しすぎる、わたしには出来ないことが多すぎるんだ。バイトで躓くたびに引きこもった。頑張っても出来ないことが多かった。でも出来ないと口に出せなかった。仕事だからやらなければいけないのだと無理をしたけどやっぱり出来なかった。どうしてこんな簡単なことも出来ないんだと言われたこともあれば、ああ出来ないんだね、わかったよと許してもらえたこともあった。どうしてわたしは出来ないんだと、いつも自分で自分を責めたからどちらでも一緒のことだった。いつも身体を壊して辞めた。母は何度わたしのバイト先に電話をしたんだろう。実家のクローゼットにあるわたしのバイト用グッズの箱を見るたびに消えたくなる。

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赤いものが好きだった。ベッドシーツもカーペットも赤色で揃えた。カーテンだけは紺地に星柄のもので眠るときにはよくその星の数を数えた。不安で仕方ないときは安定剤を貪った。ハムスターみたいだね、と友人に言われたことがある。ハムスターだったらこんなに苦しくないのかなと思った。その友人も何錠も安定剤を流し込んでいたけどわたしには彼女がすごく大人に見えた。

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痩せたり太ったりした。41㎏まで減った時もあったし、74㎏まで増えた時もあった。ガリガリでもデブでもあまり関係なかった。ひとり部屋で暮らしていた。

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ウィッグが好きだった。被って化粧をして写真をたくさん撮った。自分じゃない人間のようで楽しかった。派手な格好をして外を歩いた時もあった。自分は他人と違うのだと見せつけたかった。わたしは結局人と同じだし特別な何かにもなれなかった。むしろ凡人以下の出来損ないだ。それでも当時はその事実から必死に逃げ回っていたのだと思う。わたしは特別な何かになりたかった。

 

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今でも昨日のことのように思い出す。あの部屋の色、煙草の香り。階下で人が動く音を聞きながら微睡む日曜の昼下がり。口に含んだ錠剤の味や腕を切るわたしの泣き声も全部、まるで昨日のことのように思い出す。今でもわたしの胸の奥にはあの部屋がある。そこでわたしが苦しそうに楽しげに悲しげにしているのをそっと見つめながら慰める。今のわたしが思い出しても泣かなくなるまで少しずつ供養をするんだ。彼女が少しでも笑えるように、苦しくないように、笑顔でいられるように少しずつ。