未消化の呪詛

ぜーんぶ、ぜんぶ無駄だったのだなと絶望感の中で暮らしている。離婚についてはもちろんお互いに価値観の違いがあったことは否めないしだったらそりゃ一緒には居られないよねってんで原因としては納得出来てるけど、だからといって他に好きな人作っていい訳じゃないしその前段階で警告くらいはして欲しかったし、妻を同居人として扱うならそう報告して欲しかったしていうか同居人だとしても空気のように扱っていい訳じゃないからな?ただ夫が、「まことのことは人間としては好きだし自分の発達に関しても尽くしてくれたことは有難いしそのおかげで今の自分があるしまことだって家事もそれ以外も頑張っていたのは認めているよ。それでもやっぱり自分にはセックスが必要不可欠だから、それがどうしても叶わないのならやっぱり一緒には居られない」、そう言ってくれさえすればすべてが丸く収まるんだよクソ。丸く、まるーくお互い憎まずに離婚出来たんだよ。でも夫は、すべてまことが悪い、セックスに関してだって自分は努力したのにそれを受け入れなかったのはまことだろ、自分はこうするしかなかったんだ、別に教習生とライン交換して出掛けたって何もしないんだからいいじゃん、そもそも盗み聞きする方が人としてどうなの?、ADHDだから性欲が我慢出来ないんだ仕方ないだろ、ていうかADHDが酷くなったのはまことと結婚してストレスフルになったからだ、セックスに関しては誰に話したってそれはお前が辛すぎるって言われるよ男はそういうもんだよ、だからまことが悪いんだろ、って言うばかりで何も円満に解決する気がなくよくそれで落ち着いて話し合いがしたいって言うわたしに対してじゃあいい加減帰ってくれば?なんて言えるな。絶対わたしに刺されるやつだよ自分が刺される筈がないって思ってるそのメンタルマジで凄い。

わたしたちは最初からボタンを掛け違えていたし何とか軌道修正しようと奮闘してきたけど結局叶わなくてそれでも相手への誠意があればせめて円満離婚が出来たんじゃないかってずーっと、ずーっと考えている。離婚に関してはいいんだよ、お互い大切にしていたものが違ったね、お互いに叶え合えない望みならもう一度お互い努力するか諦めるか離れるかしかない、どの選択肢を取るのかってだけだもの。でも結局離婚の決め手になったのって夫が繁忙期終わりに教習生とライン交換して心移りしてたやつだしそんでバレたら開き直るし挙げ句の果てにはこの冷却期間を自分はもう離婚するって決めてるのにまことがずっと待たせてるんだろとか言うしえっお前本当に夫婦の責任とか結婚の重みとか何もないんかよって思ってそりゃ殺意も湧きますわ。
浮気してもいいけどとにかくわたしにバレるな、わたしはまだセックスが出来ない段階にいるから外のお店でしてきてくれてもいいお金は家計から出したらいいとも言ってあって、それでも自分は好きな人としたいただヤレればいいとかそういうことを求めているんじゃないと言っていた彼は教習生とラインを交換しカメラとマイクの付いている自動給餌器の前で彼氏持ちのその教習生と電話をし、わたしとの顛末を彼女へすべて報告し、一度ラインをブロックされると不安になり彼女の働く店まで行きブロックを解除してもらい、休みの日を送るから出掛けたりしようと誘い、自分は逃げ癖があるからそれは何とかしなくちゃいけないだから君と一緒にいたいんだと理解不能なことを言い、そしてわたしはその全てを聞いてしまいはらわたが煮えくり返っている訳です猛烈な殺意がある。というかすごい勢いで自分が坂を転がり落ちていることに気付いていないのがすごい、怖い。きっと離婚することで自分には何か得るものがあるのだと彼は思っているのだろうな。少なくとも社会的信用度は確実に失うと思うんですが。

自分はADHDだから仕方ないんだって開き直ってしまうやつは一番ダメなやつだとわたしは思っていて、自分はADHDだからじゃあどうしたらいいんだろう何が足りないんだろうどんな方法を取れば人生が円満に進むんだろうってそう考えないと本当に周りから人が消えていくと思うんだよね。特にわたしは小さい頃からなんで自分は人と違うんだろう何が足りないんだろうってずーっと自分の中を見つめる癖があるから本当に開き直ってしまう夫がわからなくて夫を病院に繋げたの間違いだったかなぁとかもう本当に全てがわからない。夫が持っているコンプレックス(走り方が人と違うとか本が読めないとか書く文章が小学生の作文みたいだとか忘れ物が多いだとか)はまぁ多分発達障害から来るものだろうなと思うんだけどいつまで経っても彼の中ではコンプレックスとして処理され続けるものでしかなくて、それってしんどくないかと思ってわたしが何度伝えてもまぁ無駄でしたので本人が気付くまでずーっとしんどいままなのだろうなと思う。彼はわたしを下に見るんだけどそれはわたしが彼の中で障害者として扱われてるからだと思っていて、まぁ無意識に差別しているししたら彼は自分のことを軽度ADHD当事者とはきっと思っていなくて自分は普通だけどまことは障害者って無意識的にしろ見ているんだとしたらえっ君ともうちょっと自分のこと知った方が良いよ…ってなんだかかわいそうになってしまう。自分は会社から正当な評価をされない!って彼の言葉の節々から不満が見えるんだけど、いやきっとそれは君の能力値というかもちろんADHDも関連してるのだから自分の得意不得意を知ればまた違ったアプローチが出来るよ今の君に対しての会社の評価は当然のものだと思うけど…なんてどれだけわたしが思ったところで全部無駄なんだけど。それでも彼はずっと定型発達に埋もれながらADHDを抱えて生きてきて、誰に見つけてもらえもせずずっと自分は否定されていると思い続け実家でも社会でも結婚した先でも認めてもらえない、否定されてばかりと思い続けもしかしたらこのまま一生満ち足りた気持ちになることがないまま人生を終えるのかもと思うと、本当にただ、可愛そうな人だなと思うばかりになってしまう。

こうやってわたしと夫を客観的に、俯瞰的に見ることでしか救いがなくて、占い師とか目指したらちょっといい線いくんじゃないの?とかすぐ現実逃避に向かいがち。ちょっと自分に目を向けてしまうと就職とかアパート探しとか家事と仕事の両立への不安とかそもそも一度も正社員として働いたことないよみんな仕事仕事っていうけど会社っていう建物の中でどんなことしてるの?とかいつまでも親に甘えていられないしというか27歳にもなって完全に自立したことがないのかすごいクソみたいじゃんなんでわたしはこうなんだみんなと一緒が良かったなんでわたしは発達障害ってものを抱えることになったんだなんでわたし?みんな違うじゃん?いや定型発達のひとたちだって悩みあるのわかるし大変なのもわかるけどじゃあわたしのしんどさとか悩みとかと比べた時にわたしは自分の悩みとかしんどさよりみんなが持ってるやつがいいから交換してよって思うんだよってどんどん深みへハマって鬱々と死にたくなるのでもう誰も幸せになれない。みんなしんどいのはわかってるし自分の言ってることがすごい不躾で人生に対しても不誠実なのはわかってるよ…でもやっぱりわたしもみんなと同じスタートラインが良かったし立ってるステージが人より低いって大変だからその大変さを生まれ持ってるってどれだけ人生は不平等なんだと叫び出したくなってしまうんだよ。ADHDを抱えてきた夫と結婚したことで、ああわたしはこの人の痛みをわかるためにこの形で生まれてきたのだと納得していたわたしは今無残にも殺されてしまってまた胸の中がざわざと不安で満ちてしまっていますだってそうだろ離婚かぁしんどい。

優しかった夫はいつ死んだんだろうと考えた時に、そういえば結婚後にしてきた喧嘩で彼は一度も、もう一回ちゃんと頑張りたいと言わなくなったなと思い当たって、そうか優しかった彼はあの結婚式の日に死んだのだと思ってなんとも言えない気持ちになった。始まりの日、ちゃんと仲直りして迎えた結婚式のあの日、二人で生きていこうと誓ったあの日に優しかった彼は死んだのだ。わたしが彼を殺したのならあの時の彼はわたしだけのものになると思っていたけど母にあなたが殺した訳じゃない、彼自身が自ら変わったんだ、他に優しくしたい人が出来れば元の優しい彼がまた現れる、優しい彼はただの仮面だったのだとぶった切られ本当に救いがない。どれだけ綺麗な思い出にしたくても容赦なく母が現実を突き付けてくるのでしかしそれもまた母の優しさなのだ。まことさんはきっとちゃんと彼のことが好きだったんだよ、今でも好きでしょう?だから綺麗なままにしておきたいしまだ執着してしまうんだよ。わたしが夫に対して好意と思っている気持ちはただの支配欲、コントロール欲なのではと話してから、母はいつでもこんこんとわたしの夫に対する気持ちを「好き」という名前で話してくれる。好きだったのかなぁ。そうだといいなぁ。今の彼に関してはそりゃあもう殺意しかないけれどそれでも優しかった彼は確かにいたのだし、今はもうただ心の仏壇にそっと手を合わせていくしかない。仏壇にいるその彼はわたしだけのものではないようだけど。

何とかして自分を救いたいわたしはみっともなく、毎日ずっと同じことを考えている。どうしたら良かったのか、どうすればこうはならなかったのか、わたしの何がいけなかったのか、わたしになにが足りなかったのか。母も友人も、まことさんは頑張っていたよと言ってくれる。結婚は決して一人では出来ないのだ。街を歩く夫婦を何組見ても、羨ましさが消えることはない。わたしも彼とああなりたかったし、彼もきっとそうだろう。でもお互い手を取り合うことが出来なかったし立っているところも違っていた。こうやってまた美談にしようとするのは本当に悪い癖だ。どれだけ救いがなくたってそれが現実なのだから、今はもう離れた彼の心を憎みながら歩いて行くしかないというのに。

‪そのままで君でいいんだよと人から何度言われても自分の首を自分で絞め続けてしまってその癖は昔から全然直らないので、ありのままの自分とかそのままのわたしとか、えっ全然ダメでしたけど嫌われてきましたけどえっありのままでいたら死ぬしかないんですけどって今まで読んできたけどクソ役に立たなかった自己啓発本でいつか全員殴ってやる‬


そのままのあなたでいいんだよと言う他人など存在するんだろうか。わたしはあの女教師に認められなかった、小学生のあの頃からいつも疑念ばかりが頭をよぎる。夫はセックスの出来ないわたしを認めなかった。セックスの出来ないわたしに愛情を持つことが出来ないとはっきり告げたのだ。そうか、そういう価値観かと納得すると共に猛烈な虚しさを覚えた。セックス以外で示してきた愛情は彼にとって何の価値もなかったのだ。手の込んだ料理も忘れたことのないアイロンのかけられたシャツも、彼が喜ぶと思って買っておく様々な物たちも、彼にとっては何の意味もなくただそこにあった、ただわたしによって起こされた事象に過ぎなかったのだ。悲しい、なんて悲しいんだろう。わたしたちがセックスを出来なくなった原因はお互いにある。例えセックスが出来なくても、それでもわたしは彼と一緒に居ることに意味があるのだと思っていた。世の中には様々な夫婦の形がある、わたしたちはほんの少しだけ、一般的な夫婦の形とほんの少し違うだけなのだと。互いに思い合い、結婚式で誓った「病めるときも健やかなるときも」その言葉を信じて過ごしていけると、そうわたしは思っていた。‬

‪半年ほど前、彼はなんて事ないトーンで「セックスしてないのに一緒にいる意味ってあるのかな?」とわたしに聞いたことがある。きっとその時から既に終わりが始まっていたんだろう。もしかしたらそれが彼の発した唯一のSOSサインだったのかもしれない。わたしの耳にはそれとして届くことはなかったけど。‬
‪わたしたちはこれまでたくさん喧嘩をしてきた。仲直りが下手でズルズルと長期間引きずってしまうことが殆ど。わたしは必ず話し合いをして解決したかったから、お互いの頭が冷えてから話し合いの場を設けていたけれど、彼にとってはそれは話し合いなどではなく、ただわたしが彼に説教をする場として認識していたようだ。それを聞いた時、サァーッと心に砂が舞った気がした。じわりじわりと広がったのは虚無感だけで、何も、本当に何も伝わっていなかったのだと絶望した。彼は喧嘩のたびにカッとなり怒鳴った、わたしをなじったこともある。何度も大声で怒鳴り、家を出て行こうとし、わたしに引き止められ渋々と話をした。そうだ、そういえば結婚式の前日にも大喧嘩をしていた。原因は忘れたが、結婚式の前日でさえ怒鳴り散らし喧嘩をちっとも収めようとしない彼に幼稚さを感じたことを覚えている。彼にとって結婚とは一体何だったのだろうか、どれだけ考えてもわたしにはわからない。‬

‪夫は軽度ADHDと診断を受けコンサータを服用している。かかりつけの精神科医に怒りのコントロールが上手く出来ないことを相談したこともあったがアンガーマネジメントは幼少期からやらないと難しいと言われたと言い、そこから何もしようとはしなかった。彼は怒鳴ってしまう自分に困っていなかったんだろうか。医師に対して、でも困っているんです、何とかしたいんですと、言いも思いもしなかったんだろうか。そこに夫婦の亀裂の理由があるのだと、微塵も思いはしなかったんだろうか。‬
‪夫から離婚を提案する連絡が来ている。彼の中にわたしはもういないのだと思うとどうしても気持ちが沈んでしまう。繁忙期は食べることくらいしか楽しみがないという夫に、少しでも喜んでもらえるように、少しでも仕事の息抜きになるように、少しでも楽しみが増えるように、そう思ってゼロから料理を練習した。一人暮らしの時は料理なんてろくにしてこなかったけど、誰かのためにと思うとぐんぐん上達した。夕飯に炭水化物を摂ると太ってしまうという夫に毎晩4品はおかずを用意した。肉野菜魚バランス良く、もちろん彩りも忘れずに。丁寧に作っているね、美味しそうだね、母にも友人にもたくさん褒めてもらえた。夫はいつもお弁当ありがとう美味しかったよとコピーアンドペーストでLINEをくれた。今日はさつまいもの炊き込みご飯を入れたよ、そう朝に伝えた日に送られて来たのは、チキン美味しかったよ!だった。いいんだけどね、あなた鶏肉好きだものね。‬

‪こうしようかああしようか?と少しでも彼が生活しやすいようにしていたけど、どれも煩わしそうにしていたことを思い出す。放っておいて欲しかったのかな、余計なお世話だったかな、全てが彼を否定することに繋がっていたのかもしれない。まことはわたしのことを否定してばっかりだ!と何度も怒鳴られた。わたしはコミュニケーションが得意じゃないから、もしかしたら本当に彼を否定してしまっていたのかもしれない。彼はいつもそれを笑って誤魔化してくれていただけで、わたしはずっと彼にナイフを突き立てていたのかもしれない。彼がずっと耐えていただけで、わたしが悪なのかもしれない。考え出したらキリがない、どうしたら良かったのか、どうしていたら違っていたのか。‬

‪わたしは彼に話して欲しかった。セックスが自分にとってとても大切なんだと、感覚過敏があるのはわかっているけどそれでもしたいのだと。‬
‪わたしは彼に学んで欲しかった。自分のするセックスがどれだけ自分本位なものだったか、どうすればお互いに負担がないセックスが出来たのか。喧嘩をし、怒鳴り、怒鳴られ、そういった後にどうすれば気持ちが回復するのか。‬
‪デートに誘って欲しかった、わたしから誘った時は一緒に楽しく計画を立てて欲しかった、手を繋いで良いかと聞いて欲しかった、怒鳴らないで欲しかった、ローションを使って欲しいと言った時、ちゃんと使い方を調べて欲しかった、恥ずかしいなら一緒にふたりで学びたかった。自分の性欲を満たすためだけじゃなく、わたしを愛すためにセックスをして欲しかった。‬
‪頑張ってくれたことだってある。誕生日ケーキを内緒で買ってきてくれたこと、洗濯物を綺麗に畳めるようになったこと、お皿洗いが上手になったこと、帰宅前にはこれから帰ると必ず連絡を入れてくれること、車の中では音楽をかけないでいてくれたこと、友人に会いに遠出をする時は快く送り出してくれたこと、決してわたしの味方ではないけれど、でも義実家の肩ばかりは持たなかったこと。‬
‪どこがどうなって今になったのか、わたしにはわからないけど、でもきっと最初から全てが噛み合っていなかったんだろう。ボタンを掛け違えたままずるずるとここまで来てしまった。掛け違えたことにも気付かないままに、暗く先の見えないトンネルを、わたしたちは互いの居場所もわからぬままに、ただ闇雲に這い蹲ってきただけなのかもしれない。光なんか差していなかった。お互いが目指す方向もきっと違っていた。少なくとも、わたしの目指す方向を彼が見ることは一度もなかった。彼がどこを目指していたかもわからない、もしかしたら彼はずっと同じ場所で足踏みをしていただけで、その周りをわたしが延々と、ただウロウロとしていただけだったのかもしれない。セックスの出来ないわたしたちは夫婦としての形を保てなかった。‬

‪あなたがわたしに今の状態でセックスを求めるということは、足のない人に走れと言っていることと同じだよと話したら、だったら私だって性欲を我慢しているから同じことだと夫は言った。そうだね、辛さを比べちゃいけないね。もう、夫になんと声を掛けたらいいのかわからない。悲しくて、でもこの人の辛さをなんとかしてあげたいと思う。でもわたしにはどうすることも出来ないのだ。‬

発達障害から来る感覚過敏に悩むわたしと、セックスに執着する夫。繰り返し怒鳴られることで気持ちを夫へ向けられないわたしと、いつも否定ばかりされてきたそれでもこんなに頑張ってきたのにと憤る夫。彼から自発的に気持ちを感じる行動をしてほしいと思うわたしと、言われたことは全部ちゃんとやってきたという夫。せめてセックス以外で愛情が伝わればと尽くしてきたわたしと、有難いと思うけどでも自分はセックスでしか愛情を感じられないという夫。先のことをちゃんと考えていきたいわたしと、先のことを考えると不安になるから何も考えられないという夫。‬

‪結婚するってどういうことなんだろう。正しいセックスってなんだろう、愛って、なんなんだろう。‬
‪わたしは夫を愛していたんだろうか、夫はわたしを愛していたんだろうか。わたしはただ夫を支配したかっただけなのではないだろうか。自分の望むように彼を動かしたかっただけなのではないだろうか。ずっと、そんなことを考えている。‬
‪わたしはただ夫を支配したくて、この人なら支配出来ると思って近づいて、自分が親から離れられるように、ただ寄生先を見つけただけで、だから夫を愛していなくて、それでセックスも出来なくなったのではないか。夫には怒鳴られたけどわたしだって夫に怒鳴り返した。夫はわたしがセックスを受け入れないことをDVだと言う。わからない、何が正しくて何が悪で、何が愛で何が憎悪なのか。ずっと、ずっとそればかり考えている。‬
‪きっと夫もわたしを支配したかったのだと思う。自分の思い通りにしたかったのだろう。だって彼は幼い頃からずっと親にも兄にも親戚にだって支配されてきたのだから。ずっとずっとずっと彼は我慢してきた筈だ。子供の頃から今の今まで。そして遂にはわたしにまで、我慢させられてしまったのだ。‬

‪わたしに何が出来るのか、どれだけ考えてもわからない。ただ、夫には誰か、ちゃんと彼を受け入れてくれる人がいて欲しい。心も身体も受け入れてくれる誰かが、夫のそばに現れて欲しい。彼の世界が寂しくないように、自分を責めることのないように、我慢させられることのないように、どれだけぺしゃんこになってもちゃんと空気を入れてくれる誰かが彼のそばに現れて欲しい。そう、心から思う。‬



‪かかりつけの精神科医に、まことさんは結婚生活も上手くいってるようだし大丈夫よ、と何度も言われたけど先生、大丈夫じゃありませんでした。やっぱり発達障害者の結婚生活はパートナーとの相性が大切なようです。わたしと夫では何一つ噛み合うことがありませんでした。先生、わたしたちは上手くいっているように見えていただけで、全然駄目でした。キラキラして見えた結婚生活も、蓋を開ければそれは腐ったケーキのような、ただの見せかけのものでしかなかったようです。先生、夫は診察の時何か話をするでしょうか。離婚について、先生には何か話をするのでしょうか。夫が第三者にわたしを非難する目的以外で何かを話す姿がちっとも想像出来ません。彼はまた、我慢をするのでしょうか。それとも自分が責められることのないよう、うまいこと話を作ることが出来るのでしょうか。わたしはまだ先生にあまり信頼を置けていないけれど、それでもやはり、夫を救って欲しいと願ってしまいます。‬

医師に繰り返し、あなたより酷い人はたくさんいる、あなたは理解してくれる人も周りにいるし恵まれているよと言われたけどだから何なんだよ。わたしより酷い人とわたしを比べてだからってわたしの苦しみややりにくさがなかったことにはならないんじゃないの。転んで骨折した人も転んで膝を擦りむいた人もどちらも痛いことには変わらないんじゃないの。わたしの周りにいる理解ある人たちがわたしの痛みを代わりに請け負ってくれるならいいよ、でもそうじゃないよね?恵まれている、比べてそう言っていい相手は定型発達の人たちだけじゃないの。

医師の目にはどんなわたしが写っているんだ。不安を感じずわからないことは率直に聞ききちんと挨拶をしてわかりやすく話をするわたしか?今まで血眼になってく自分のものにしてきたライフハックだよクソ不安を感じたら下調べをする初めて通る道は予め練習で通っておくとにかく不安に感じるものは書き出して対処するうまく話せないとわかっているから家で一人で練習する第一印象が大切だから挨拶はきちんとする時間は守るべきだから10分前の10分前行動を心がける忘れ物をしないように何度も確認する予約時間も忘れないようにカレンダーに手で書いて覚えるそうやって今まで人に迷惑かけないようにやってきたんだよそういう過程を全部無視して今のわたしだけ見たらそれゃほぼ定型発達と変わらんだろうよあ、出来てるから定型発達と変わらなくてもいいでしょ?って思った?思ったよね?じゃあなんだ?今まで発達の特性で困ってきたことはなかったことになる?なるの?ねえ?定型発達と同じように出来てるっていう結果だけ見てそれまでの過程はなかったことになるの?ならないよね?

じゃあ医師にちゃんと話せよって思うよねわたしだってそうだよ話せてたら苦労しないんだよ話せてたらそれこそなんも問題ないよ話せないんだよ医師が眉間にしわ寄せてわたしの話を聞くんだよこの子は何を言ってるんだろうわかりにくいなぁって顔をするんだよわたしの話を遮ってまことさんそれはねって言うんだよ最後まで聞いてもらえないの辛かったこととか悩んでいたことを話してもみんなそうですよ普通ですよって言うのいやいや普通だからなんだよみんなと同じだからなに?やりにくいって思ってることなんですけどただみんなそうだよで終わり意味わかりませんなにが大丈夫なの?10分15分の診察でわたしが今までどうやって生きてきたかの聞き取りもなしに今のわたしだけ見てもっと酷い人はいるよあなたは恵まれているよってなんの呪いなの?これから謎解きをしていきましょうって医師は言ったからわたしは自分の特性について理解したくてたくさん聞いてきたよその結果がこれだよあなたより酷い人がいるよそうですか

グレーゾーンの地獄に戻ってきました通院してわかったことは自分がグレーゾーンということともっと酷い人たちがいるということ。医師は最後に言ったよ。病院は慈善事業じゃないんだよ、何か拠り所を求めているんだろうけどわたしの見解はグレーゾーンですそれ以外は言えません。わかってるよ、わかってる。でも、少しでいいからわたしのこれまでの苦労や悲しみや孤独を本当に少しでいいから肯定して欲しかったんだ医師の診察がカウンセリングなんだとしたら、少しでいいからわたしはわたしの暗いところをちゃんと医師のあなたに認めて欲しかったんだよ甘えだ怠けだ出来損ないだそう言われてきた思われてきた思ってきたその部分をただ否定して欲しかったんだあなたより酷い人はいるあなたは恵まれているそうですかわかりました、そう言うしか出来なかった次の予約の話をし始めた医師の顔を見ることなく適当に予約入れて泣きながら診察室を出てもうその場でうずくまって泣きたかった暴れたかったお母さんに会いたい実家に帰りたい小学生の頃のわたしに戻りたい謝りたいごめんねわたしは過去の自分を救えなかったもっと上手く話せば良かったもっと最初から自分の弱さを見せれば良かった過去の話を自分からすれば良かった医師の中に定型発達に近いわたしの像が出来上がる前にもっとちゃんとやれば良かった出来ないでもやるしかなかった後悔してもどうしようもない

精神科への通院が辛くなってきた。先生にいろいろと尋ねるのだけど、みんなそうだよとかそれは普通だよとか言われてしまって、「そうなんですか」と言うしかなくなってくる。終いには先生から、なんだかまことさんの聞いてくることって普通のことばっかりで、とか言われる始末。その普通のことで悩んでるんですけど、悩んできたんですけど。みんなと同じだからなんなんですかね、普通だからなんなんですか。その普通のことでえらい落ち込んで悩んできたんですけども。それともみんな死にたくなるくらい同じように悩んで落ち込んで引きこもったりしてるんですかね。そもそも先生の言う「みんな」ってどこからどこまでの人たちなんでしょうか。先生が見てきた患者さんたち?それとも一般的に「普通」と呼ばれる定型発達の人たち?わたしが今まで自分の悩みややりづらさを他人に話したとき、共感してくれたのは唯一発達障害を持つ友人だけでしたけど、それでも先生はまことさんの言うことは普通過ぎて、と言うんですねえ。

 

そんな普通のことで死ぬほど悩んで社会から逃げ出しているわけだけど、やっぱり生きている意味ってないんじゃないかなって最近ずっと考えています。いや、死なないけど。死なないっていうか、ただ死なないから生きてるんですよ。ここに押したら速やかに死ぬスイッチがあればもう万全の準備を持って死にますよ。葬式の準備して夫と友人への手紙書いて暫く料理しなくていいように冷蔵庫と冷凍庫手料理でパンパンにして入れるもんなら生命保険にも加入して、夫に迷惑かけないように全部ちゃんとして死ぬ。それくらい気持ち込めて死ねる。でもそんなスイッチどこにもないんだよな。だから生きてます。ちゃんと死ぬまで生きると思う。

 

そんなんで生きてる意味がないとか考えてるって生ぬるいこと言ってんじゃねえよってメンヘラ総叩きに合いそうなんですが、死ぬのってエネルギー入ります。メンがヘラってた時でも死ねなかったのに薬飲んでない今死ねるわけない。見逃してください。

 

夫の仕事が繁忙期に入ったので毎日起きて、お弁当作ってご飯食べて洗濯して夫のお見送りしてお弁当のおかずと夕飯作ってアイロンかけて家計簿つけて猫と遊んで…って生活をしてますけど、心の隙間に時々ふっと冷たいものが湧いてくるんです。死にたいなあって人に言う事はないけど、生きてるってだけでわたしはしんどいのだなあってそういう時に感じます。生きてるだけで辛いってなんなんでしょうね。

 

PMDDの治療でピルを服薬しているんですけど、あまり効果に実感がありません。生理前にあたる週ではすんごいお腹すくし空腹の時間にはぐわっと落ち込んで泣いて風呂場で泣いたりドライヤーかけながら呪詛を漏らしたり、休薬期間には苛ついて不安になって悲しくてって繰り返して生理始まれば治まり…書いてて思いましたけど全然ピル効いてないですね。ピルで調整しているはずの月経とホルモンバランスに身体がコンディションの悪さを合わせてくる。なんなんだ。来週の通院で先生に話してみよう。

 

子供の頃、母がわたしの発達障害を疑って今かかっている精神科の先生に受診をしていたんですけどその時先生にまことさんはシナプスっていう頭の回路の繋がりが弱くてそれで不安を強く感じるのかも、薬を飲めば治りますよ連れてきてくださいって言われてたらしいんだけど結局わたしは通えなくてそのまま大人になってしまい、さてわたしは未だにその回路の繋がりが悪いんだろうか。婦人科の先生にうちで出している精神薬はシナプスの下にあるセロトニンをためておけるお皿を大きくする薬だよって説明を初診時に受けていて、回路の繋がりが悪かったらどんだけお皿大きくても意味なくね?って素直に疑問なので今度精神科の先生に聞いてみようと思う。いったいわたしの脳と子宮はなんなのか、もうちょっと上手いことやってはくれんものだろうか。

 

母に悩みを打ち明けることが出来なくなってから暫く経ったんですけど、まあしんどいながらもなんとかやっていけてます。27歳にもなって生きているのがしんどいとか他人とうまくコミュニケーション出来ないとか夫にこう言われただのなんだのってもう母には話せないですよね。話される母が不憫すぎる。だってそうじゃないですか、三十路手前の自分の娘にああだこうだ辛い事話されたって母としてはどうしようもない。だからまことさんはうまくやっている、母にはそう思っていて欲しいです。

 

そうすると話す人って友人が夫か、の二択になるんですけど夫に話すって言ってもその夫が問題の原因だったりもするんで無理だし数少ない友人はみんな忙しそうなので引きこもりの子なし専業主婦の話なんてなかなか自分からは出来ない訳ですよ。なのでツイッターにいろいろ呪詛を書き込んだりするんですけどそうするとあっという間にフォロワーが減っていくんですよね。あれは面白かった。なので基本的に自分の話はしない、っていうのがデフォルトになってきているんですが、なんかもうそれでもいいかなあって最近は思えてきてます。たまにこうやってブログにぐだぐだ書くだけ。作文を書くのは子供の頃から好きだったけど知能検査で聞く力が弱いって判明してから一気に苦手意識ついちゃったし書くぞ書くぞ書くぞ!って思わないと書けない。上手に文章を書く人たちを見ると素直にいいなあと思います。

 

少し前に祖母が亡くなりました。突然で、お葬式の最中もどこか夢見心地でただ祖母にありがとうごめんねと伝えることしか出来ませんでした。もう納骨も終わって初盆になるんだけど、時々ふと、ああもうおばあちゃんはいないんだなって思って落ち込んだりしています。本当に何気ないとき、テレビ欄で福井県関連の番組を見たときや、おばあちゃんという単語を見聞きしたとき、自分で漬けた梅干しを食べたときや祖母の家の台所を思い出したとき。そういう時にふと、もう祖母がこの世にいないという喪失感に心が空っぽになります。もっと遊びに行けば良かった、もっと電話すれば良かった、たくさん話をしてたくさんおばあちゃんの笑顔を見ておけばよかった。そんな風に思ってもなんの意味もないけど、いつか祖母がわたしの心の穴にすっぽりおさまるまで、ちゃんと心の穴はそのままに、あいたままにしておきたいです。

 

祖母はいつも電話で「まこ、大丈夫か?元気か?頑張ってるか?」と聞いてきたので、ちゃんと大丈夫だよ、元気だよ、頑張ってるよといつでも言えるようにしていたい。

頑張るのってしんどいけど、でも今日も頑張った!って思うことは大切なので、今のわたしにあるハードルは低いものが多いかもしれないけど、それでもちゃんと飛び越えて一日の終わりには今日も頑張った!と言える毎日を送れたらいいなと思います。

発達障害の診断を受けたことと、精神病に縋っていた頃の話

1か月ほど前に広汎性発達障害の診断を受けた。担当の医師による聞き取りと知能検査の結果、そう判断して良いでしょうとのことだった。IQが低く、知的障害のラインギリギリだね、これだと学校大変だったでしょうと医師に言われた時、ほんの少しだけど子供の頃の自分が救われた気がした。

 

私の母はカウンセラーをしているのだけど、それに関連して大学病院の医師が話す発達障害の講演会に参加する機会があった。講演自体はとてもわかりやすく面白かったのだが、ところどころに散りばめられる発達障害あるあるに会場は時に笑いが洩れていたがわたしはあまり笑えなかった。聞きに来ていたのは主に支援員の方や学校の先生が多かったらしい。講演後の質問タイムでは、発達障害の疑いを持つ子供の親にどうやって伝えるのが良いか、親はショックを受けるのではという質問があり、支援員や教師の方が発達障害をどう見ているのかがわかってしまい、少しショックであった。

これはわたし個人の意見なのだが、なんというか、発達障害が悪いものであるという考え方はあまり好きではない。そりゃあ無い方が良いと思うし、定型発達の人は毎日が楽しいだろうなあと羨むこともめちゃくちゃある。だけど、その人が持つ特性を本人と周囲が理解し、凹凸が少しでも平らになるようなサポートがあれば、その人の持つ特性は障害ではなくなる。発達障害の「害」の字を嫌がる人もいると聞くが、その「害」は発達障害者本人が周囲に与える「害」なのではなく、本人の周りに出来てしまう壁が「障害」なんだとわたしは思う。もちろん一概には言えないし、発達障害に振り回され辟易している方も(本人も周囲も含めて)いると思う。

 

ただわたしの周りにいる発達障害の友人たちは、みんな良くも悪くも一生懸命だ。生きることに、働くことに、生活することに、いつもいつも一生懸命で命をすり減らしている。発達障害といえど千差万別なので一概にこうとは言えないのだけど、でもわたしの知る限り、みんなそんなに頑張っちゃって大丈夫なの…?と心配になるくらい毎日を頑張って生き抜いている。どうか、彼女たちに穏やかな毎日が訪れるよう祈るばかりだ。

 

昨夜、ちょっと思ったことがある。自分が発達障害であるか、なんて思ってもいなかった頃わたしは精神科へ通っていた。夜眠れないところから始まり、抑鬱、引きこもり、リストカットにOD、しまいにゃ薬物の大量摂取により救急車で搬送され閉鎖病棟へ入院が決まるというフルコンボを見事に決め、鞄の中は常に安定剤の卸問屋だった。ずっと過去の自分の行動が理解出来ず今までうやむやにしていたのだけど、わたしはずっと、自分が周りと違う理由を探していたんじゃないかと、昨夜ふと思ったのだ。「どうしてみんなと同じように出来ないんだ」「みんなには容易く理解出来ることがわたしには理解出来ない」「ただ同じようにしたいだけなのに」。17歳から23歳までの間、薬を飲みながらそんなことをずっと考えていたと思う。ただ理由が欲しい、そんなわたしの気持ちを救ってくれたのは精神病だけだった。病気になることがわたしの救いだった。またこれが通っていた精神科の医師と相性がいいのなんの。症状を伝えれば新しい薬が出るし、種類も馬鹿みたいに増えていった。もちろん、どこかに本当の症状は出ていたと思う。あの頃はPMDDの治療もしていなかったし、それに子供の頃から不安はいつも感じていた。精神科通いをやめたのは24歳の春だったと思う。それまで勤めていたバイト先をやめ、このままじゃ良くないと思い通院もやめた。しばらくは眠り方がわからなかったし胸はざわざわするし頭もふらふらするし、そもそもわたしは何をしたらいいんだ?とまっさらな空間の中で右往左往していたけれどその後はきちんと(まあバイトだけど)働けたし、自分が発達障害ではないかと気づくことも出来たし結果としてはまあ良かったと思う。

 

自分が何者であるか、悩んで苦しんで精神病に縋った先にあったのが発達障害だった。んもーどうしてまっすぐ来れなかったものか。今でもたまに思い出すことがある。シートに並んだ薬の色、煙草の煙が立ち込める部屋、泣きながらリストカットした一人暮らしの台所、ご飯を食べすぎてデブになったことも、逆にほとんどご飯を食べられなくなって爪楊枝みたいになったことも、どうして自分を大切にしないのと泣く母の声も、どうしてわたしを生んだんだと母に吐き捨てた自分の声も、たまに思い出しては泣いている。

 

発達障害というものに翻弄されながらも、ようやくここまで来れた。今まで頑張ったね、辛かったね、もう大丈夫だよと過去のわたしを慰めてあげたい。

月に一度、診断を受けた病院へ通っている。医師はこれから謎解きしていこうねと言ってくれ、その言葉通り「みんなと同じように出来ないこと」をノートに書き出し医師に少しずつ尋ねている。それはあなたの特性だね、もう仕方ないよねえ、苦しいことは苦しいままだけど、ちゃんと慣れていくから大丈夫。そう話す医師の前にはきっと、小学生のわたしも中学生のわたしも、高校生のわたしも精神科通いのわたしも、今現在のわたしもみんなが座って時に泣きながら話を聞いているんだろうなと思う。

重たいランドセルを背負ったわたしが大きな声で泣いている

わたしは結婚して専業主婦という役割を手に入れた。夫には感謝しているし家事はわたしが人並みに出来る唯一のものだと思う。今この立ち位置にいるから思うことだろうけど、それでもわたしはこの年になっても未だに学校に通えなかったわたしを認められないままでいる。少し前にわたしは本当は学校に通いたかったのだと気付いた。小学校はもちろん、中学校もちゃんと三年間通いたかったし高校もきちんと三年で卒業したかった。大学にも通ってみたかったし、就職もしてみたかった。挑戦しなかったのはわたしだし、親に多額の費用をかけてもらいやっと二十歳で通信制高校を卒業させてもらったわたしが今さらこんなことを言うのはおかしいのはわかっているのだけど、それでもやっぱりわたしはみんなと同じが良かった。大多数が通る道を通っていたかった。現実を受け入れる強さがわたしにはないからだと思う。人と違うことが怖いしそのせいで上手くいなかったことが悔しい。そのくせ悔しさをバネに出来る体力も器用さも強さもない。十代の頃は人と違うことを力に出来ると思っていたけど、今のわたしにそんな勇気はない。

高校を卒業したことが唯一の救いであるが、同時に凄まじいレッテルがベタベタとわたしに貼り付けられている。一歩も二歩も遅れているわたし、同級生たちはそれぞれに、働き、結婚し、子供を産み、悩み、大多数が通る道を歩いている。喉の奥から手が出るほど羨ましく、妬ましい。今までの自分の経験や関わってきてくれた人や友人、全てがかけがえのないものだけど、わたしはそれすらも大切に出来ず、出来なかったことばかりに目を向けている。誰にでも悩みはある、耳が腐るほど聞いてきた。誰にでも悩みはある、だから黙れってことなんだろうか、愚痴を言うなということなんだろうか、お前の悩みなんかくだらないということなんだろうか。それとも羨ましがるなということか。

でも大多数の人は数字でパニックを起こしたり聞いたことをすぐ忘れたりしないじゃないですか。一か月のうち一週間しか快適な精神衛生じゃないなんてことないじゃないですか。自分の組んだルーティンに首を絞められたり、昔のことを思い出して泣いて喚いて自分も他人も傷付けたり、そんなことしないじゃないですか。訳もなく不安でざわざわして、生きることに臆病になったりしないじゃないですか。きちんと働いて食べて寝て、そういう生活が当たり前のように出来るじゃないですか。

母は昔から、あなたはあなたらしくいて良いんだよと言ってくれていた。それなのにわたしは、みんな同じを良しとする学校教育とあの女教師に未だに縛られ自分を呪い続けている。ふたつの相反する自己の考え方に挟まれて、重たいランドセルを背負ったわたしが大きな声で泣いている。あの女教師にただ認めて欲しかった、人とは違ったかもしれないけどその違いをちゃんと見て欲しかった。人と違う部分こそがわたしだから、そこをちゃんと見て欲しかった。女教師の中にいる子供像とわたしがかけ離れていることはわかっていた、でもちゃんとこちらを見て欲しかった。幼いわたしは大人とは教師とは、そうやって子供を正しく見てくれるものだと信じていたからだ。あの女教師が朝の読書時間に読んでくれる本が大好きだった、あの女教師にただ認められたくて全校生徒の前で作文を読んだ。いつまでもいつまでも、あの女教師に好かれず認められなかった小学生のわたしがわんわんと体育館の中で泣いている。

子供の頃からの自分がぽつぽつとわたしの中に生きていて、ふとした時に彼女たちが泣いて傷ついているのがわかる。幼稚園の頃、友達とかくれんぼをしていたら自分だけ見つけてもらえず出て行った時には他の子はみんなで違う遊びをしていたときのわたしや、小学生の頃、吃音に悩んでいたわたしに担任の女教師が全校生徒の前で作文を読むように勧め、つっかえてパニックになり泣きながら必死で読み終えたのに家でも泣きながら練習してたのかと女教師に笑われたわたし、不登校だったが受験のため通い始め一年なんとか通い担任が取ってくれた推薦で高校に合格したとき、あなたが合格したって誰にも言わないで、不登校だった人がいちばん始めに合格するなんておかしいでしょと担任に言われたわたし、実家の角部屋でひとりこもってパソコンに向き合い、パニックを起こして喚いていたわたし、スクーリング先の茨城でパニックを起こして持っていた薬を全て飲み、結局閉鎖病棟に入院することになったわたし、一人暮らしのアパートの台所で夜中に腕を切りながら泣いていたわたし。

彼女たちはいつも泣いている。苦しそうに悲しそうに、世の中の理不尽さをずっと恨んでいる。わたしは周りとどこが違うのか、何故あんな扱いを受けなければいけなかったのか、どうしてみんな幸せそうに笑えているんだろう。そんな風に自分の過去や周りを恨むことでしか自分を慰められない、かわいそうな彼女たち。

目の前に並ぶ全校生徒の顔も、中学校の教室もクラスメイトも、実家の狭い部屋も、茨城のホテルのベッドの感触も閉鎖病棟の冷たさも、一人暮らしのアパートの床も、全部、隅まで覚えてる。飲んだ薬の触り心地も、ふわふわと脳が揺れる感覚も、切った腕の痛さも血の流れる様も、まだ忘れていない。

今の自分と切り離せない彼女たちを、わたしはどうやって慰めていけば良いのだろう。涙を流し、膝を抱えて座り込む彼女たちをわたしは死ぬまで慰めていかなければいけない。後悔ばかりが胸を埋め尽くしている。どこで間違えたんだ、どこからなら軌道修正が出来たのだろう。社会にいる人間に容赦なく殴られてきた彼女たちの痣は、わたしが社会を許せるまできっと消えはしない。