雨の音で目が覚める

当事者研究、たまに呪詛

わたしはこれからずっとこういう波を乗りこなしながら病気になる一歩手前でフラフラ地獄の淵を歩いて行くんだなあ。

さあ寝ようとベッドに入り、そんでめそめそと泣いてた。寝たらそのまま目が覚めることがないといい、そう思ってもそもそも全然寝付けやしないしお腹のちょっと上ら辺をずっと不安がぐるぐると渦巻いてる。この感覚は懐かしいな、実家で引きこもっていた時に深夜と夕方ずっと感じてたやつだ。薬欲しいな、飲むと楽になるんだよね、しんどいけど。煙草吸いたいしリストカットしたい、あれ痛いけど本当にスッと不安が消えて胸の痛みがただの腕の痛みに代わるんだよな。わたしはただ単に自傷行為がしたいだけです。苦しい、辛い、不安で堪らない。わたしが一人で生きていくにはこの世界はハード過ぎる。毎朝渡る駅前の横断歩道はとても見通しが良いから、ああここで轢かれたら過失割合10:0で親にも迷惑かからんかなあとか考えてもう本当にわたしはただ軽率に死にたいんだ。なんかほら、やっぱりそういうこと言うの良くないって思うじゃん。だから言わないの、誰にも。言うとさ、大変じゃん。悲しくなる人もいるし、慌てる人もいるし、励ましたくなる人もいるし。それはそれで有難いけど、でもそれはわたしじゃなくて相手方のことなので正直どうされてもあんまり関係ないんだわ。わたしが死にたいって声にしたことであなたたちの感情に波を立たせてしまってごめんね、申し訳ないよ、いやあでもしんどいからほんと、死にたいんだよね。もうそうとしか言えない、辛いよ、生きるの。死ねないから余計に辛いの。糸が切れて死ねたらどんなに楽かって夢想するばっかりだ。そういう自分が気持ち悪いし、他人も、もう全部気持ち悪いんだよね。えっわたしってなんのために生まれてきたんだ?とか、いやまあそんなの意味なんかないのわかってるけど誰だって自分の存在に意味をもたせたいでしょ。意味がなかったらわたしじゃなくてよかったじゃん。わたし生まれてこなくてもよかったんじゃん?ってそう思っちゃうしもう思っているけどさあ。もう励ましとか、そういうのもきついわ。共感も、反論も、もう全部いらない。死にたい。無がいいよ、無が。自分が恵まれてるの分かってるし努力次第でなんとでもなるっていうご意見には確かにそうかもしれないねって思うけど、こういう鬱症状がセットだとやっぱり人生楽しくないねえ。アンハッピーセット、鬱Mサイズです(にっこり)。

 

PMDDも関連してるとは思うけど特性として躁鬱がセットになってるの笑っちゃうよね。診断出たことないし医師がどう見てるのかも知らんけど。いやそもそもわたし医師にちゃんと話しないからダメなんだよな。でもあの人たち全然こっちの話聞かないし治療だってヤケクソじゃん。一概には言えません、わかりません、とりあえず薬で、そういう症状は病気じゃないから診断は出せない、嫌なら病院変えていいよ。はーい、わかりました。じゃあもういいっす。先生わかんないんでしょ?じゃあ自分でなんとかしまーす。病気認定とかは求めてなかったんだけど、ただちゃんと話を聞いて欲しかったんだけど、それは精神科医に求めちゃいけないことだってどうして誰も教えてくれなかったんですか?

 

ずっと泣いてる。泣いたってどうにもならないのに。不安の原因はわかってるけど根本解決のしようがないので対処療法的に早く寝るとか(寝れない)、ちゃんとご飯を食べるとか(ご飯が美味しくない)、好きなことをしてみるとか(好きなことをして楽しくなった分夜にどん底まで落ちる)、そういうことをして自分の首をギュウギュウと絞めています。何もしないのが良いんだろうけど、何かしてないと無理なんですね。何かしてないとっていうか求人検索とか書類作りとかなんですけど。発達が就職先決めるのってもう完全に博打だよね。当たり外れのおおよそ外れの方が多いであろうくじ引きをしている気分です。環境が合ってなかったら死ぬでしょ、人間関係が複雑になってくると死ぬでしょ、業務に適性がなかったら死ぬでしょ。まあ結局死ぬんだけど自分でできるのは一部の環境調整と業務適性の把握くらいであとは完全に運試し(死を伴う)なんだよな。そんでもって引きこもりもニートもやってたからブランクすごいし、勉強できなかったから最終学歴は高卒だし、それでも一人で生きていかなくちゃだから手取り20万ないときついっていやいや人生ってこんなにハードなんだって今更だけどびっくりしてる。同世代でも今貧困とかあるあるじゃん、若者の貧困ってやつ。その一般的な若者より明らかに能力低い奴が貧困にならないはずないんですよね。障害者手帳取ったから障害者枠で、なんて思ったこともあったけど、あれさあ、障害者枠ってさあ、完全に実家暮らし+障害年金受給可じゃないと無理だよね。なにあの額面、高校生でももっともらってるだろ、舐めてんのか。障害者だって障害の度合いによって出来ること違うんだから賃金も個人に合わせて変動させろや。それともなんだ?手帳持ちはみんな同じ程度の業務しか出来ない、やらないって思ってんの?控えめに言うが滅びてくれ。

 

いやもうこれ本当にただの愚痴なんだけど、言えるだけまだ良いにしたい。なんつーか、診断受けてよかったことほとんどねえわ。主治医とは仲悪いし、手帳取れても使える福祉は限られてるし、これまでのやりづらさが肯定されたのは嬉しかったけどだからと言ってこれからが生きやすくなる訳ではなかったしな。そもそも受けた診断はグレーゾーンだし、今のわたしの生きづらさって発達特性による生きづらさとは別なんだよね、グレーであることゆえの生きづらさなんだわ。結局障害者にも健常者にも当てはまらないからどちらの側に立っても歪みが生じるしどっちにいてもしんどい。安寧の地がないんだね。金銭的にも精神的にも。

 

こういう感じで死ぬまで生きるんだ〜って思って無になってる。死ぬまでっていつまでだ、もうなんか不慮の事故とかでサラッと死なせてもらえませんかね。嫌でしょ?社会だって役に立たない障害者嫌ってんじゃん。わたし以外の障害者はみんな優しいし努力家だしちゃんと周りのこと考えて働けるのでわたしが代理でサラッと死ぬのでどうか福祉を充実させてください、お願いします。あっわたしは障害者にも健常者にも当てはまらないからダメですか、グレーは死にながら生きろってことですね、わっかりました。死ぬまで地獄配置、承知致しました。

 

あ〜〜〜〜しんどい。ちょっと涙止まってきた。書くとね、スッキリするよね。こうやって騙し騙しやってくしかないんだよね。頭痛い、眠いのに眠れないけどこれ書き終わったらPC閉じて部屋暗くしてベッドでじっとしてようね。わたしはこれからずっとこういう波を乗りこなしながら病気になる一歩手前でフラフラ地獄の淵を歩いて行くんだなあ。

個人的な発達特性の記録【6~10】

前回「2.反復行動を好む」という特性を少し掘り下げましたが、

 

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今回もそれに通じる発達特性からです!

 

 

 

6.予想がつかない・先の見えないことが苦手


 

これから先、なにが起こるのか把握していないととても不安になります。どんなことをするか何をすればいいのかどうしたらいいのかわからないとパニックを起こして泣いたりします。

 

忘れ物をしたことで見えなくなった先行き

小学生の頃、わたしは忘れ物をしがちな生徒でした。よく覚えてないんですが教室の前方、黒板の横に時間割表だとか教師から生徒への連絡事項だとかを書いておくスペースがあって、翌日の持ち物なんかも全部そこに書いてあったんです。教師は帰りの会などで口頭で生徒に持ち物はこれだよ、ここにも書いてあるよって伝えてくれるんですが、そうですわたしは「耳からの情報が記憶に残りづらい」んですよねえ。加えてあの頃は気が散りがちというかわりかしとボケッと考え事をしていた子供だったので尚更教師の話を聞けていませんでした。もしくはきちんと連絡帳などに持ち物を書いて帰ったとしても家に帰った瞬間に明日の持ち物の存在を忘れるんですよねえ。母はきちんと明日の準備をしなさいねとわたしに教えてくれていましたし、いつも使う教科書や筆記用具などはあまり忘れることはありませんでした。イレギュラーな持ち物に関してだけ、わたしは存在自体を忘れがちでした。

 

さて、忘れ物が多い話が何の関係があるんだよ、ってな感じなんですけどあります、良ければ聞いてください。

 

例えば習字の授業で習字セットを忘れたとします。忘れたことあります、へへ。習字の授業ではもちろん習字を練習するわけですから、習字セットを持っていないわたしはクラスメイトと同じように授業を受けることが出来ません。当時の思考回路としてはこうです。

 

 

授業開始5分前

あっ、習字セット忘れた、持ってきてない!どうしよう!みんな持ってきてるのに!わたしだけ持ってない!どうしたらいいんだろう。先生に言ったら叱られるかな。あっみんなもう準備始めてる!どうしよう、どうしたらいいんだろう。みんなが習字の練習をしてる中でわたしひとり何をしてたらいいんだろうどうしよう!!!!

 

 

です。もおおおパニックです。ドキドキして不安でたまらなくて今にも泣きだしそうでした。「どうしよう、どうしたらいいんだろう」ここ、ここです。習字セットを忘れた自分には気付けているんですが、そこから先どうしたらいいのかがわからなかったんです。今ならわかります、ええ、わかりますとも。教師に忘れ物をしたことを報告、授業が始まりそうだが姉に借りに行ってもいいか、もしくは学校の備品を借りることが出来るか、それとも先生と相談した上でわたしだけ習字セットを使わない授業に変えるか(ペン字とか?書き取りとか?)。選択肢は幾つもありますあったんです。まあでもそこは小学生しかも低学年ですから、見事に先の見えない状況にパニックを起こしたんですよね。

わたしと同じように忘れ物をしたクラスメイトで泣きだしそうになる子は一人としていませんでした。みんな飄々とした顔で教師に忘れました!と言いに行き、特になんのダメージも受けずに学校の備品を借りていたのを見てわたしは信じられない気持ちでいっぱいでした。

先生に怒られるかも、どうしたらいいんだろうと真っ先に思っていたわたしにとってクラスメイト達の行動は本当に理解不能でした。

 

 

先の見えない不安によって受けられなかった支援と診断

もうひとつ幼少期のエピソードを。

不登校になった際、発達障害を疑っていた母はわたしを病院へ誘いました。わたしはどうしても行く気になれず、母だけがわたしのことを相談しに何度か通ったらしいのですが当時の医師の見解は「多分そうだとは思うけど実際に本人を見てみないとわからない、連れてきて」とのことでした。その医師のもとへ27歳にしてようやく通い始め診断を受けることになったのですが、まあその話は置いといて。あの時ちゃんと病院に行っていたらなあ…と深い後悔の気持ちがわたしの心の中には常にあります。ではどうしてあの頃のわたしは病院へ行く気になれなかったのでしょう。

 

不安、その一言に尽きます。とっても不安だったんです。住んでいたところからふたつ隣の市にある病院だったのでまず道のりが不安でした。電車に乗る?バスに乗る?どれくらい歩くんだろう?。病院、というものに関してもイメージが湧きにくくどんな場所なんだろうどんな先生なんだろうどんな人たちがいるんだろう靴は脱ぐのかな怖い場所だったらどうしよう、と次々湧いてくる不安を止めることは出来ませんでした。特に不登校になったきっかけとして担任教師とのひと悶着があったため余計に「先生」ってものに対して不信感があったんですよね。母にそのまま不安に感じていることを伝えればきっと先が見えるように工夫してくれたと思うんですが、当時はただ「行きたくない」としか言えませんでした。先の見えないことへの不安によって必要な病院に行くことが出来なかった、なんて残念なことだろうと心から思います。

 

今では見通しを立てるために情報を集める、日常生活をルーティン化するなどの対策で不安に思う気持ちは減りつつあります。まあもちろん初めてのことはいつまで経っても苦手なままですが、それでも以前よりはパニックを起こしにくくなりました。

車を運転するようになり初めて通る道などは不安に思うことが多いのですが、最近はとても便利なものでスマホ実際の道路状況が確認出来たり航空写真で目的地が確認出来たりと、本当に本当に助かっています。事前の下調べでイメージを可視化することにより初めてのことでもある程度の予想が付き、その上ストレスが減るのであれば本当に願ったりかなったりですよねえ、有難い!

 

今回は先の見えないことがどんなふうに苦手なのか、というよりは幼少期にあった具体例を書いてみました。まあ大人になった今もあんまり変わらないんですけどねえ。感覚的には中身は小学生のまま身体ばかりが大人になってる気がしているのでいつまでもわたしの中身はきっと小学生のままなんだと思います(これについてはまた別の記事で掘り下げます)。

予想がつかない、先の見えないことが苦手、なんとなくですが伝わればいいなあと思います。

 

 

 

7.言葉のままに受け取る


 

冗談などは笑って言われればなんとなく分かるんですが、たとえば皮肉だったりわかりづらい冗談などは理解できないことがあります。言葉の裏側にある真意に無意識的に気付くことが難しいので、会話の際には細心の注意を払います。笑うタイミング、共感するタイミング、自分の意見を言うタイミング、今でもなかなか掴めないままです。

まことちゃんって面白いよねー!、小さい頃から何度も言われているんですが、こちらとしては面白いことを言ったつもりはないし至極真面目に話しているんですけどどうしてか相手にとってわたしは面白い人になることが多いです。こう言ったら面白いって言われるかな?と相手のリアクションありきで話をし墓穴を掘ることも多々あります。会話って難しい~。

 

読み取れたのは言葉の表面だけ

こちらもちょっとしたエピソードをひとつ。

わたし親子丼があんまり好きじゃないんです。鶏肉と玉ねぎを和風のだしで煮て卵でとじるやつ。ついこの間まで実家に住んでいたんですけど、その時に母が一週間の夕飯の献立を作っていたんですね。「今週親子丼するんだけどいい?」って聞かれたので、うーん、あんまり好きじゃないけどいいよって言いました。その時母は「親子丼そんなに好きじゃないんだ」と言ったので、うん、と言いました。

 

さて、今日の夕飯は親子丼の日。母が料理をする傍ら、わたしは母に話しかけつつダイニングに座っていました。その時母に「親子丼、あなた好きじゃないんだっけ?」と聞かれたので(この間好きじゃないって伝えてあるしきっと確認だろうな)と思ったわたしは素直に「うん、嫌い」と答えたところ、母から大変怒られてしまいました。母曰く、これから作ろうとしてる人に向けた発言じゃない、とのことでした。

もうすんごくびっくりして、えぇ…でもこの間は怒らなかったじゃん…とか、じゃあなんで聞くんだ?とか、好きじゃないって事実の最終確認じゃなかったのか…とか思いはしましたがいやあもう言われてみると確かに人の心がないですね。

 

後から母に聞いたところ、ポイントとしてあげられるのは「今から作ろうとしている」ところらしく、どれだけ事前に相手の好みを知っていたとしても今から作るメニューを目の前で嫌いと言われると人は嫌な気持ちになるらしい、です。いやあ、確かに自分が母の立場だったらブチ切れると思う、人でなしかよ!って思うもん。じゃあお前食わんでいいわ!って怒鳴る絶対。母からアドバイスとして「好きじゃないけどせっかく作ってもらうんだから食べるよ」等の返答が正解と教えてもらいました。む、むずかしい…。

 

 (この間好きじゃないって伝えてあるしきっと確認だろうな)ここ、この部分ですよね。

 

「親子丼、あなた好きじゃないんだっけ?」、この発言をわたしは母がわたしの好き嫌いを確認するために聞いたんだろうと読み取ってしまったんです。あまりに表面的すぎる…。母の真意はまあわからないんですが、少し忙しい日で母も余裕がなかったんだと思います。ちょっと苛々しているようにも見えましたし。そこでわたしのこの発言があったら確かに怒りたくなるよなあ…と納得しました、ごめんね。

 

 

人が話す言葉には大なり小なりふくらみがありますよね。その人がどんな意図をもって話をしているのか、わたしにとってそれを読み取ることはとても難しいことです。おかしなことを言って笑われたこともありますしその場の空気を白けさせたり乱したことだってあります。聞かれた質問にはストレートに答えるため、配慮を持てず相手に嫌われることもしばしば。さて、ではこの特性を要因とした困り感はどんなものなのか。最近あったエピソードを話します。

 

 

言葉のままに受け取りすぎた人間の末路

 就労支援所でとあるスタッフの方に「眼鏡がおしゃれでかわいいですね!」と話しかけて頂いたことがありました。わたしはふざけた丸眼鏡をかけているんですけど、自分ではまあまあ気に入っているのでとても嬉しかったんです。でも言葉には大なり小なりふくらみがあります。この人はどんな意図でこの発言をしたんだ…とわたしはすっかり疑心暗鬼になりました。今まで人の言葉をそのままに受け取り、そして非難され過ぎたんですよね。さて、話し掛けられたので返事をしなくてはいけません。頭に浮かんだ選択肢は「いえ、そんなことないです」と謙遜する「そちらも素敵なお洋服ですよね、かわいいなって思ってました」と相手を褒める「ありがとうございます」と無難に返す0.5秒ほどの間に頭をこれらが駆け巡ります。ワンテンポ遅れて返した言葉は「…ありがとうございます」でした。これが一番無難だと判断したので。会話は失敗することなく終わりましたが疲労は大きく残りました。相手が何を求めているのか、どう返事をすれば嫌われないか、この会話の目的は何なのか。大人になってからは常にそう考えながら人と会話をするがついてしまい、すっかり嫌気がさしています。

 

でもよく考えてみて、ねえ!!いや、そんなの定型さんでもわからんじゃん?!?!発達関係なしにみんなわからんじゃん?!?!

相手はこう言って欲しいんだろうな~とか、こういう意図で聞いたんだろうな~ってなんとなくわかっても完璧に相手の意図を把握できる人なんてごく少数じゃないですか。なのに!なのに!!!わたしはすっかり「言葉のままに受け取る」特性のおかげでトラウマ化してしまった「他人との会話」が恐ろしくなってしまい、常に疑心暗鬼を繰り返す生き物になってしまったんです。つ、つかれる…。

 

ただ、あれぇ…マズったかな…と不安になることはあっても実際に人から非難されることはぐんと減りました(家族に関してはもうなにも考えず思いつくままに喋るので申し訳ないと思ってはいますがリミッターを外して喋ることがストレス軽減となるので許して欲しい。言ってくれればちゃんと反省するしちゃんと謝るので…)。自分は相手の言葉をそのままに受け取るんだ、と自覚してからそれならばちゃんと気を付けていようという意識が生まれたんでしょう(生まれすぎて別の困り感は出ていますが)。ここは少し成長できたとこですね!よくできました!えらい!

 

 

場数を踏んで経験値を稼ぐ

会話っていうのはとにかく経験値を稼ぐしかありません。情報を集めてデータを分析、パターン化して使っていくことでトラブルはある程度回避されます。最初はものすごくしんどいんですけど(人に嫌われたり怒られたり笑われたりね…ハハ…)、でも勿体ないのでそれも全部自分の糧にしちゃいましょう。考えすぎて疑心暗鬼になるときによく思うのは「他人ってあんたが思うほどそこまで深く考えてないよ」です。気を張りすぎるのも良くないので適度に気にして考えていけるようになったらいいなと思います。

 

この特性の厄介なところは曖昧な指示を理解出来ないことです。「適当にやっておいて」「ちょっと待ってて」「これくらい」などがいまだに良くわかりません。適当ってどれくらい?ちょっとって何分?待っててってどこで?ここで?これくらい?どれくらい?!?!いやぁ、パニックに陥るさまが目に浮かびます(これについては15.感覚で物事を掴めないとも共通しそうなのでここでは簡単に終わらせます)。

的確な指示さえあればフルパフォーマンスを発揮できるよう尽力致しますのでどうかどうか、よろしくお願い致します。

 

 

 

8.見えないものは存在していない


 

存在を忘れる、が近い表現かもしれません。母はわたしをAHDHじゃないかと長い間思っていたみたいなんですけど多分それはこの特性のせいかなってなんとなく思います。

 

クローゼットにしまってあるもの、戸棚の中のものなど今でこそ把握していますがここまで来るのにかなりの時間がかかりました。しまってしまうとそれは無いものになってしまうんです。しまっておいたものが突如必要になった時にはとても困りました。もうそれはわたしの中で「無いもの」になってしまっているのでどこを探したらいいのかもわからないからです。これが解決したのは自分で部屋を片付けるスキルを身に着けることが出来てからでした。ただイマイチ不安が残るので、大切なもの入れスペース、普段使いスペース、ジャンル別収納スペースと分け、しまうときにはこのカテゴリ分けを必ず守るようにしています。それでも無くなるときには無くなるので(自分が覚えていられないという意味で)、青い顔をして泣きながら探す、なんてこともよくあります。

 

 

当事者研究をされている小道モコさんの著書、「あたし研究」の中で「見えないモノはないもの!?」という項目があります。

 

私にとって、見える/見えない、というのはとても重要なことなんです。

見えること⇒考えがおよぶこと

見えないこと⇒考えがおよび難いこと

 

…(中略)…

 

私は見えていること/モノがすべてだと思いがちです。

たとえて言うなら、視線ビームの行き届かないものは認知しにくい感じなんです。

 

あたし研究

あたし研究

 

 

なるほどこれかぁ…と納得しました。診断を受けた際にわたしにADHD傾向はありますかと主治医に聞いたところ、検査では見られないと言われ、うーん、じゃあなんでこんなに物がなくなるんだ??と不思議に思っていたんです。傾向として不注意特性は確実にあるんですけどそれではちょっと説明がつかなかった(現在改善されている訳ですし)ので小道さんの本を読み、なるほどお!と思いました。小道さんの「私は見えていること/モノがすべてだと思いがちです」、この言葉にまるで自分を見たような気がしました。小道さんはこの項目をこんな風に締め括られています。

 

「見えないモノに思考が及ばない」→「じゃあ、どうしたらいいのか」

具体的にどうしたらいいのか、工夫できる余地がある、というのは、大きな救いです。見通しのつかない暗闇を歩くその手に、懐中電灯を得たような、そんな救いです。

 

 わたしが自分の特性を理解していくことがわたしの救いになる。そう思うことが出来たきっかけは小道さんの本でした。

 

あたし研究〈2〉自閉症スペクトラム―小道モコの場合

あたし研究〈2〉自閉症スペクトラム―小道モコの場合

 

 

 

どうする???

さてさて、対策立てていきましょう!自己理解を深めて自分を救ってあげましょう!(なんか変な宗教みたいになってきた…)

まず見えなくなることで「無くなって」しまうものたちについて。上記でも少し触れましたがとにかくカテゴリ分けをしてしまいましょう!それぞれのおうちを作ってそこへ放り込みましょう!書類は面倒くさがらずにファイリングをしたところかなり便利で助かりました。大事なものファイルには・家の契約に関しての書類、・光熱費に関しての書類、・保険に関しての書類、・取扱説明書、保証書、などを入れています。そのファイルを置く場所が大事なもの入れスペースとなるのでそこへ通帳や失くしたくない郵便物などをしまっていきます。そんな感じで同じように服はここ、文房具はここ、本はここ、アクセサリーはここ、薬はここ、などなるべく持ち物を分散させないようにカテゴリ分けをしながら整頓していきました。まあこれ普通にみなさんやられていることなんですけど、その普通のことが出来るまでに10年くらいかかってます…へへ…。昔実家で暮らしていた時の部屋、すごいありさまでした。

 

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はい、汚部屋だった実家の部屋です。きったねえええええ…本当に汚い…ひどい…。これは母もADHD疑うわ~って思いますよねえ。これ、不思議なんですけど何がどこにあるのか自分でちゃんとわかっているんです。なので困ることは一度もありませんでした。どこに何を置いたのかはほとんど記憶していたのでこの頃物がなくなった!と慌てることはなく、むしろある程度片付けるようになってからあれがないこれがないと慌てることが増えました。しまって視界に入らなくなったものの存在をどうしたって忘れてしまい、そして忘れてしまうその特性にすら気付いていないので、物をしまう時に記憶しようという意識もなかったからです。自分の特性を理解して初めて、正しく整理整頓が出来るようになりました。

 

自分で片付けていない場所に関しては何度か開け閉めをすることでしまってあるものを把握、記憶することが出来るので人より時間はかかりますがきちんと元の場所に戻す、という行為をとれると思ってます。むしろ元の位置に戻したいだってなくなっちゃうから

 

俺の後ろに立つな

わたし背中側に人がいるとすっごい不安になるんですよね。これももしかしたらこの特性が関わっているのかなあと思うところなんですが、この特性以外にも要因はありそう。殴られたらどうしよう、とかいつ刺されるかわからない、とか随分バイオレンスな不安なのでこれまで他人から精神的に叩かれてきたトラウマもあるかもしれません。人がいる場ではなるべく壁を背にして座ったり全体を見渡せる場所に立つことで心の安定を図っています。集中もしやすいですし!心の中のゴルゴと共に毎日を暮らしています、へへ。

突然背中をトントンと叩かれるとびっくりするので出来れば前から手を振ったり声をかけたりしてくれると嬉しいなあ。

 

 

 

 

9.インプット・アウトプットに時間がかかる


 

知能IQの低さが関わってきてるのかなあと思う特性のひとつです。頭が悪い、理解度が遅いって言われるとまあそうですね…って感じなんですが。

 

情報を溜め込むバケツ

バケツがあります。そのバケツはそれぞれの物事に対してひとつずつ用意されていて、そこに必要な情報をわたしは詰め込んでいきます。詰め込んでいる最中に取り出すことは出来ません。だって今は詰め込んでいる最中ですから。たくさん、たくさん詰め込んでいって、あぁ!溢れる!、その時ようやくアウトプットが出来るようになる。イメージとしてはこんな感じです。バケツに水が溜まるのはある程度のスピードがありますが、わたしの場合は水ではなく、砂とか小石とか、スライム的な物体のような、溜まるのに時間がかかるもののような気がします。うーん、伝われ!

 

情報を詰めている最中に取り出すことは出来ません。もしかしたらこれは(12.ふたつのことを同時に出来ない)という特性とも関連があるのかもしれません。インプットするときにはインプットだけ、満タンまで溜まり、溢れそうだよ!となった時に初めてアウトプットが出来るようになる。爆発的な力が出るので良い効果をもたらすこともありますが、不の感情も同じように爆発しがちなのでなかなかに難しいところですね。

 

勉強の場では、学んでいることを自分の物にするまでに人より時間がかかるので歯がゆい思いをすることが多いです。一度落とし込んでしまえばいいのですが、それまでが大変ですね。アウトプットにもある程度の時間が必要になってくるので、なんというか、のんびり屋さんだなぁ~と自分を客観視するときもあったりなかったり。ただ、じっくり溜め込んだ分丁寧に出していける出していきたいと思っています。発達特性に関する当事者研究も今までじっくり溜め込んだ分、丁寧に書いていけたらいいなあと思っているので頑張りたいところ。無理せず、まあもともと人より発達がゆっくりなのだからねェ…と出せる時に出せる分だけ、を心がけていきたいです。

 

 

マイナス面とプラス面

人より遅いだとかは比べたところでもう仕方がないので(頭の仕様は変更できないのだし)人より遅いことで何が起こるか書いていきたいと思います。

まず劣等感が生まれます。わたしは生まれちゃいました。あの子たちは出来てるのにわたしには出来ない、わたしもあんなふうになりたかった!もう呪詛ですこれは…。

人より時間がかかってもいいんです。スピードで競うことはありません。ゆっくりやっていきましょうよ。今わたしは28歳になりましたが、この年でようやくひとりで市役所へ行き障害者手帳や自立支援制度の申請銀行窓口での光熱費の払い込みなどが出来るようになりました。部屋の片づけがきちんと出来るようになったのも25歳の頃ですし、料理をし始めたのは23歳になってからでした。20歳から一人暮らしはしていましたが、全く3年間も一体何を食べて生活していたんでしょうね…お金もなかったというのに…。発達障害を持つ人は一般的に成長が緩やかと言われています。緩やかでも、ちゃんと成長していけるはずです。少なくとも、わたしはそう信じたいです。周りと比べず、それはただの「違い」なのだと認識することが出来るとちょっと楽になるかなあ、なんて思います。わたしはまだまだ劣等感の塊なんですけどね!ここはわたしが今後乗り越えていく部分だと思います。乗り越えていきたい。

プラス面としては、上記でも書きましたが溜め込む時間が長い分、放出する際にはとても力強く丁寧であると個人的には信じています。誰かと比べて、ではありません。あくまで自分の物差しの中で、です。

 

インプット・アウトプットの早い人(姉とか)を見てるとうわいいなあ~~~~って心から思いますが、それぞれのペースがあることを常に頭に入れ、自分には自分のペースがあるのだと、そのままのわたしを受け入れてあげられるといいなあって思います。焦っても良くないですし。というか焦って始めたこと、今のところことごとく失敗してるんですよね…バイト、一人暮らし、結婚…うわ言ってて悲しくなってきた。時期がある時期があるんだよ全てのことには。しっかり肝に銘じて生きていきたいです。もう失敗したくない。

 

 

 

 

10.応用がきかない


 

思考回路の基本形が常に、~すべき~しなければならない、なので結構しんどいです。また他人にも~すべきを求める傾向があるので(自他境界の弱さが原因だと思ってる)周囲の人間からストレスを感じ、また周囲にストレスを与える原因にもなります。

 

ごみは毎回出さなければならない!

 毎週水曜日がプラスチックごみの収集日なんですけど、なんとなく朝起きれなくて出さない日があったんです。ごみ箱の中はまだまだ余裕があってあと2週間くらいは平気そうなんですね。それでもわたしの頭の中は「ごみを出せなかった」でいっぱいでした。どうしてでしょう。実家では父がごみの日には必ずごみ捨てをしていたんです。まあ4人家族なのですぐにごみ箱がいっぱいになるからなんですけど。月曜日と木曜日の可燃ごみ、金曜日のプラスチックごみ、週に3回、必ずごみ捨てをしていました。そうです、ゴミの日には必ずごみ捨てをしなければいけない、とわたしは思ってしまっているんです。いや、可燃ごみならね、そりゃ出した方がいいですよ。なので出しています、週に1度ですが…(可燃ごみを週に2度きちんと出さないことに関しても結構葛藤がありました)。このことをツイッターでつぶやいたところ、仲良くして下さっているフォロワーさんからうちもプラごみはそうですよ!とリプライが届き、あっ…えっ…みんなそうなの?!良かった~~~と酷く安堵したことを覚えています。

母にこのことを話したら「えっ、そんな風に思ってたの?別にプラごみなんか匂いもないんだし溜まるまで出さなくてもいいんだよ?」と言われ、早く教えてよ~~~~~と泣きそうになってしまいました。

~すべき、~しなければならない。この思考回路に苦しめられること、結構あります。しかもわりとくだらない(笑)。

 

 

わたしの呪い

わたしの生き方を苦しめている、~すべき、がもうひとつ、ロールモデルです。わたしが幼少期に選んだロールモデルは当時ごく一般的なものでした。年齢に見合った進学、就職をし、結婚をし、子供を産み、歳を重ねる生き方です。もう見事に外れてます外れてしかいません。わたしはすっかりこのロールモデルから外れているにも関わらず、未だに年齢に見合った進学就職をしなければならないと思っているし、結婚をし子供を産み、歳を重ねていかなければならないとどうやら思っているみたいなんです。ただ結婚、子供についてはもうちょっとしんどくなってきたので考えないことにしているんですが、進学、就職の部分ですね。とてつもない強さのこだわりを感じます。そしてそのこだわりは自分自身の呪いになるんですよねえ。わたしが繰り返す吐く呪詛は大体がこの呪いによるものだと最近思うようになりました。

 

 

特性が組み合わさることで生まれる新たな困り感

この応用がきかない、という特性と言葉のままに受け取る、そこにワーキングメモリの弱さ、という特性が足されるとどんなことが起きるのか。

 

言われた言葉のままにしか動けない、という事態に見舞われます。たとえば他者に質問をしようとして「ちょっと待っててね」と言われたとしましょう。「ちょっと」の部分がわからないのでまずここで軽く混乱しますが「待っててね」の部分で待つことにします。わたしにとって待つ、という行為はその場に留まることなのでじっとその場に立ち静かに待つことにするでしょう。このとき何か別の行動をとってしまうと(スマホをいじるだとかその場を離れるだとか)、質問したかったことを忘れる恐れがある(ワーキングメモリの弱さ)のでわたしはただじっと聞きたいことを忘れないことに注意を払いつつ時が来るのを待ちます。本当は待ってる間、何をしていたっていいんです。忘れる恐れがあるなら軽くメモをして先に済ませたい用事があればそれをしたっていいし、座りたければ座ればいいんです。でもわたしはそれをしません。なぜなら「待っててね」と言われたのだからきちんと待っていなければならない、と思っているからです。

周りから見れば何であの人はじっと突っ立っているんだろう、となるんですけど、まあこういう思考回路が働いているんですねえ。客観的に見ると面白いですが本人は至って真面目です、本当にいちいち大変だなあ君は。

 

ルールこそが全て

人とのコミュニケーションにおいてこの特性は結構やっかいです。要約すれば「ルールこそが全て」ですから。~しなければならない、という思考回路はルールを順守することを強く求めます。小学生の頃、クラスメイトと遊んでいる最中にほかの子たちが改変されるルールにも柔軟に対応していたのに比べ、わたしはこうしなくちゃいけないのに!こうするべきなのに!と酷く怒り、そして悲しみ、まことちゃんと遊んでもつまらない、と同級生たちに嫌煙されることがありました。わたしにとってルールが改変されることは秩序が乱れることと同等だったんです。遊びだろうが関係ありません、最初に制定されたルールこそが全てでした。

 

今では人前で地団駄を踏むような無鉄砲さは無くなりましたが、自他境界の弱さから近しい人間には相変わらず、~すべき、を求めがちです。自分の首も、相手の首も、ぎゅっぎゅっと絞めていってしまうんですねえ。こうするべきなのに!これが正しいのに!苦しむ原因を作っているのは自身の特性だとわかってはいても、思考回路を変えるのはとても難しいことです。~必ずしもそうすべきということはない、そう思えるようになったらいいなと思います。

結構な白黒思想なのでこれは多分(20. 0か100かしかない)にも共通するんだろうなあと思うところ。

 

マイナス面とプラス面

マイナス面はまあ上記で挙げたとおりです。プラス面…うーーーん。ルールをちゃんと守ります。そこは評価してあげたい。どれだけ車がいなくても横断歩道を渡りますしごみの分別も守ります。まあ全てが俺ルール、ってところはあるのでもろ刃の剣って感じですね…

ここはもしかすると認知行動療法を使うところかなーとも思っています。ゆっくり自分が苦しくないようになっていけたらいいなと思っています。

 

 

 

今日はここまで!

 

個人的な発達特性の記録【2~5】

 

 

感覚過敏については前回サラっと書いたので、

 

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ここからは日々の生活の中で役立ったりつまずいたりする部分をゴリゴリ言語化していこうと思います。マイナス面、プラス面も併せて書いていきます。

 

 

 

 

2.反復行動を好む


 

毎日をルーティン化することが好き。細かく決めすぎると性格上首を絞めることになるので大きな枠組みを作ることにしています。毎回同じ電車の同じ車両に乗る、毎日同じ時間に決まった番組を視聴するなど同じ時間に同じことを繰り返すことを好み、それにより情緒が安定する。同じ道を通ることも好きです。同じものを食べる、同じものを買う、一度使い始めたものは同じものをずっと使いたいです。

スケジュールを作るときには法則性を持たすように組むことが多いかな。(食料品の買い物は必ず月曜日、○○に行った帰りには必ずガソリンを入れるなど)

 

なんで??

先の見えないことが苦手だからです。とっても不安になる。

今度遊ばない?と友人から誘われた時に一番に思うことは「何時にどこでご飯を食べるんだろう、どんなことをするんだろう、何時に帰ってこられるだろう」が大部分を占めます。人によってはこういうことを聞き出すと「えぇ…別にそんなの当日の流れで決まるからわかんないじゃん…」ってまあドン引き案件なんですけど、ドン引きされてもいいから教えて欲しい、特にご飯と帰宅時間。先の見通しが立つだけで楽しいことをきちんと楽しめるようになるので仲の良い友人や家族にはぐいぐい聞くことにしています。

 

ルーティンを組むと見通しが立つ

ルーティンを組むってどんな感じだろうかって考えていた時期もあったんですけど、振り返ってみれば普通に行動していることがすでにルーティンみたいなものでした(大体毎日同じ時間に同じことしてた)。なのでちょこちょこ今の生活に合うように調整した現在の休日引きこもりスケジュールがこちら。

 

~8:00 起床(どんなに遅くても8:00にはベッドを出るようにしてる)

~9:00 朝ごはんを終えて着替える

12:00 自由時間

12:00~13:00 お昼ご飯

~17:20 自由時間

17:20 お風呂

18:00 ドライヤーかける+洗濯機回す

18:10 夕飯作り開始

18:45 洗濯終了、室内干し

19:00 夕飯

20:00 茶碗洗い

20:45 歯磨き

21:00 猫のお世話(トイレシート交換、歯磨き、おもちゃで遊ぶなど)

22:00~22:30 就寝

 

毎日大体この通りに過ごしています。風呂から夕飯まで細かく指定してあるのは毎日絶対にやらなくちゃいけないことで、そしてわたしが最もやりたくないことだからです。時間を指定することで絶対にやるんだぞ!やらなきゃだめだからな!と追いこんでいるつもり。有り難いことに「決めたことは決めたとおりにやりたい」っていう厄介な特性も持ち合わせているので(これについては10.応用が利かない、17.気持ちの切り替えが難しい、の二つに通じるところがありそう)おかげさまで毎日コツコツ続けられています、お風呂と夕飯。

 

先が見えないことに対する不安があるということは、もちろんハプニングにも弱いんですよね。ここでいうハプニングっていうのは「予定外のこと、想定外のこと」です。毎日を同じリズムで過ごすことで想定外のことは確実に減ります。ちゃんと見通しが立ちますから。しかしどうしたって起きてしまうハプニングは必ずあるのでそれに関しては対策が必要になってきます。

 

 

マイナス面とプラス面

 マイナス面に関してはルーティンが崩れた時、これに尽きると思います。自分ではどうしようも出来ないズレって必ずありますよねえ。電車が遅れるとか車のタイヤがパンクするとか行きたかったお店の臨時休業とか。以前は結構これにビクビクしながら生活してたんですけど、最近は常に二通りのパターンを想定する癖がつきました。いつも通りのルーティンで過ごせるパターンと、ハプニングが起こるパターンです。たとえば電車が遅れた時。駅ではどの程度遅れるのかアナウンスがありますし遅延証明をもらえば勤め先に提出できます。車のタイヤがパンクしたら契約している保険会社のロードサービスや車検でお世話になっている車屋さんに電話をすれば良いですし、行きたかったお店が臨時休業の場合は残念な気持ちを噛みしめながらまた別の気になっていたお店に行けばいいんです。ルーティンをこなすことを目的とするのではなく、わたしは先が見えないことが不安だからルーティンを組むことにしたのだ、ハプニングが起きたとしてもどうすれば良いか何をすれば良いのかがわかっていればハプニングはそれほど恐ろしいものではない、と常に自分に言い聞かせることで大きなパニックに陥ることが減りました。今にところ対応出来ないハプニングに見舞われたことはないんですが、もしそういったハプニングに直面しても出来うる限りの情報を集めて見通しを立てることが出来たらいいなあと思います。

 

ただやっぱり繰り返しの行動が好き、という部分は確実にわたしの中にあるのでたとえハプニングに対応できたとしても悔しさ悲しみ、苛つきなどはどうしたってあります。特にわたしは気持ちの切り替えに関して苦労する場面が多いのでとても難しいところです。

わたしの友人はみんな「やりたくなったらやる」スタンスなので見ててとてもハラハラします…えっこの間はこの時間これしてたのに今日はいいの!?とか、えぇっそんなスケジュールも立てないで行き当たりばったりで生活してて疲れないの?!とか(笑)彼女たちから見ればわたしの生活の方が息が詰まるとのことなので、うーん、発達特性だなあ!という感想です。

 

プラス面に関しては毎日同じことをコツコツ続けられる(興味のある分野のみ)、見通しを立てたいのでスケジュール管理やタスク整理が得意(だが数による)、遅刻をしない、などがあげられるかなと思います。

 

他人と関わる上では役立つ、というよりは負荷がかかる割合の方が多いかなぁって思います。自分のペースだけを重視して突き進める無鉄砲さは持ち合わせていないので、むしろ相手に合わせようと頑張りすぎて自滅パターン、結構あります。他者とのかかわりの中ではまあまあ役立ちませんが一人で過ごす分にはしっかり自分の癖として把握しているとストレッサーの排除に役立ちそう。

 

 

 

 

3.興味のない分野に取り組めない


 

興味のない分野に関することは1ミリも頭に入ってこない。読み物なんかだと大体乖離を起こします。どれだけ真面目に取り組もうと思っても上の空になりがちで人として結構致命的なんじゃ…と焦ります、焦ってます。

 

なんで??

 うーーーーん、うーーーーーーーん????

なんででしょう、わかりません。自分にとってどうでもいいことは本当にどうでもいいんです、だって関係ないじゃないですか、自分と。加えてどうやっても抗えない眠気と雑念がダブルで襲ってくるのでこれは不可抗力だと思いたい、思わせて欲しいです。

しかしその反面、興味のある分野には異常に執着します(これはわたしの場合ですが)。診断を受ける前に購入していた本にはこんなことが書いてありました。

 

狭くて深い関心事。

物を収集するのが好き

アスペルガー症候群の人は自分の興味のあることに、一生懸命に打ち込み没頭する傾向があります。

(大人の発達障害<アスペルガー症候群ADHD>シーン別解決ブックより)

 

 

あるあ…あるあるあるある!!!!収集癖あるあるう!関心ごとの幅は確かに狭いね!!わかるわかる!!

…ということなので、多分そういう傾向の脳みそを持っているということなんでしょう。狭くて深い関心事、読んだ当初はなるほどなあと思いました。

特に興味はないけどちゃんと情報が頭に入ってる人たちは本当にすごいです、尊敬します。すごい。

 

 

マイナス面とプラス面

マイナス面に関しては、まあそのまんまです。出来ません。多分そこは無理をしない方がいいと思うので(そういう脳みそならしょうがない)現段階で出来ることと言えば興味のあるもの、ないものをしっかり認識し、そして区別すること。 まあ日常生活においては興味が無ければ身の回りにも存在していないと思うので何か対策をする必要性はないと思うのですが、就職を考えている今はなるべく把握しておきたい…どんな仕事が出来るだろう?と考えたときにかなり重要になってくると思うので。自分がどんなことだったら取り組めるのか、どんなものが好きなのか、興味・関心のある分野はどれなのか。これらを把握できるだけでも目指す方向を決める手助けになると思う。

プラス面に考えるには裏を見ないとね。興味のない分野に取り組めないのだとしたら、興味がある分野には取り組める、そういうことです。しかも異常に執着するときた。今までの経験の中で一度はまれば奥底まで、ってな具合でのめり込むことが殆どだったのできっとガンガン吸収していくでしょう、吸収して欲しい。

 

今はとにかく好きなこと、興味のあること、やってみたいこと、その中で自分が出来そうなことをガシガシ言語化していくことに尽きるかな!と思います。発達特性に関する個人的なこのまとめもやりたかったことのひとつです、とっても楽しい。

 

 

4.数字に弱い


 

計算が苦手です。足し算、引き算、掛け算、割り算…2ケタになってくるときつい、奇数も苦手。電話番号やパスワード、他者の誕生日、年齢なんかもまったく覚えられませんワーキングメモリが弱いことも関連しているかも?ひらがな、漢字に比べると数字は確実に覚えにくいのでワーキングメモリの弱さ+数字に弱い、で結構な凹だと自分では感じています。

数字以外の情報を脳内から引っ張ってくる工程を経てようやく目的の数字を思い出すことが出来ることがあったりなかったり。

 

時間表記の14時とか18時とかはたまに混乱します。あとこれは関係ないかもしれないんですけど、頭に思い描いてる時間を口に出すときや人から聞くときには必ず時計そのものをを視覚で捉える癖があります。確認?かなあ、人から聞くときには覚えようとしてるんだろうなっていうのはなんとなくわかる。多分聴覚よりは視覚優位なので。口に出すときにはなんだろう、感覚的には答え合わせみたいな感じ。頭に思い描いているのは「12時」っていう数字で、実際に目で見てその数字と時計の盤面を照らし合わせたい?みたいな?うーん、上手く言語化出来ない…

 

料理をよくするんですけど料理本などを参考にするんです。しょうゆ大さじ、みりん大さじ1、砂糖小さじ1。まあ一度見ただけでは覚えられないのでひとつずつ、しょうゆ、みりん、砂糖、順番にひとつずつですね。見て、覚えて、行動に移すようにしています。聴覚よりは視覚が優位ですけどまあ一般的に優れているという訳ではないのでこういうことになりますね。

 

 

生活の中で行う工夫

覚えておかねばならないことはとにかくメモを取るようにしています。銀行口座の暗証番号、クレジットカードの暗証番号、自分の電話番号、自宅の住所、パスワード類。スケジュールは手帳とアプリで二重に管理をしています。スマホの画面だけだとなかなか覚えられないので紙に書く行為で記憶し易くしています。

全てをメモしておくって危機管理もクソもないですがこうしておかないとお金をおろすことも出来ないし自分の住所も覚えられません。大事なパスワードなどは必ず手帳にしかメモをしないようにして紛失、盗難などにはかなりの気を使っているつもり…せめてもの危機管理です。頭の中に置いておけないものは頭の外に置いておくしかないんですよねえ。全て頭の中に記録しておける人が本当にうらやましい、それだけリスクが減るってことじゃないですか。

 

 

マイナス面とプラス面

マイナス面はこちらもそのまんま、数字が本当に駄目です。記憶、計算、入力系も苦手っぽい。めちゃくちゃ気を付けてめちゃくちゃ神経使えば出来ないこともないけど、でもすっごい疲れるから出来ることならやりたくない

プラス面…ないかなあ~なにかひとつくらい欲しいけどなあ~。

数字が苦手なことで起こるポジティブな出来事を見つけたらまた追加記載したいです!

 

まあ避けて通れるなら避けて通ればいいよなって思ってます。計算には電卓を使う覚えておけないことはメモを取る数字に関する作業をしなくても良い環境を目指す、などなど。もしかして軽いLDもあるんか~なんて思った節もあるにはあるんですけど、学生の頃に数学で躓いたことってあんまりないので(数学担当教師がとても丁寧に教えてくれた&周りの学力レベルもそこまで高くなかったっていうのもあると思いますが)LDだったら多分もっと早い段階で躓いてるよなあって思うので多分違う。ただ数字に弱いだけです。

 

 

 

 

5.耳からの情報が記憶に残りづらい


 

診断を受ける際に用いられたWAIS-R(ウェクスラー成人知能検査)でワーキングメモリの弱さがわかりました。まあそうじゃないかなあとは思ってたんですけど本当に弱かったです。

 

ウェクスラー成人知能検査は、16歳以上の成人用に標準化された、ウェクスラー・ベルビュー知能検査の改訂版として、1955年2月に出版された、知能を測るための一般的な検査である。 知能は、目的を持って行動し、合理的に考え、効率的に環境と接する個人の総体的能力として定義されている。

ウェクスラー成人知能検査 - Wikipedia

 

 

以前、母との会話の中でこちらが質問した内容に対する母からの返答をすっかり忘れてしまい、5分後にもう一度同じ質問をしたことがあります(多分このときは返答を受けたことすら忘れてた)。相手からしたら、えっさっき言ったけど?!ってびっくりしますよねえ。でもこの時はわたしも自分に引きました、頭大丈夫かって思った。

今聞いてることを後で思い出してメモを取ろうかなっていうのは至難の業なのでメモが取れない状態だと結構きつい。忘れないことに全神経を使い、そしてすべてを忘れます

 

 

どうしてるの?

聴覚からよりは視覚から覚えることのほうが得意なので(繰り返し言いたいのはあくまで聴覚より視覚の方が覚えやすいというだけで視覚で記憶する能力が高いわけでは決してない)、視覚で捉えられるようにしています。基本的にメモ取りがマストです。

 

早いスピードでの指示、連続した指示、時系列の伴わない指示(伴ってても無理だけど)は何一つとして記憶に残せません。右から左へ、左から右へ。

ひとつひとつの指示をメモ取りし、時系列順、もしくは優先順に並び替えることは可能先の見通しが立つようになるので安心の材料になります

何か約束事を取り付ける時には口頭で行うより文面(手紙やメール)の方が安心感が強いです(12.多数のことを同時に出来ない、という特性も併せ持つので話を聞きながらメモを取るという行為が厳しい時もあるため口頭やりとりはかなり苦手)。

友人や家族との会話でのやり取りの中で約束事(○日にこうしようねとか)が出た場合には必ず「あとでLINEして欲しい」と伝えるようにしています。ここが難しいところなんですけど、耳で聞いたことを必ずしも忘れる、というわけではないんです。覚えていられる場合もある。自分の中での優先度なのか頭の中にしまう際の引き出しの場所の違いなのかはわかりませんが、覚えていることもあれば覚えていないこともある、不確定さが困り感のひとつとして挙げられます。

 

 

ワーキングメモリって??

 

ワーキングメモリとは認知心理学において、情報を一時的に保ちながら操作するための構造や過程を指す構成概念である。作業記憶、作動記憶とも呼ばれる。ワーキングメモリの構造や脳の関連部位を調べる研究が多数行われている。

ワーキングメモリ - Wikipedia

 

WAIS-Rの検査結果を主治医から聞いたときに、ワーキングメモリ(短期記憶)の弱さを指摘されました。一時的に記憶を留めておく能力が弱い、ということだと個人的に解釈しています。

 

ホワイトボードって便利ですよね。専用のマーカーを使って書いて、消して、また書ける。個人的には短期記憶ってホワイトボードのような役割を持っているんじゃないかなあと思っています。ではわたしの脳内ホワイトボードはどうなっているんでしょうか。おかしな話なんですが、しっかりマーカーで書き込んだにも関わらず、時間経過とともにどんどん文字が薄くなっていくそして消える。そんな感覚に近いです。しっかり全てを書き込んだのに、ふとホワイトボードを見ると虫食い状態だったり逆に一部分だけしっかり残っていたり、もしくは何も残っていなかったりします。そんなはずないのに、えっわたしちゃんと書いたよ?!と驚くことは未だにあります。そしてとても悔しいです、自分の能力値の限界を見せつけられているようで。絶対に忘れたくないことは意識的にメモ取りが出来ますが、そうでないものはもう覚えることを諦めるしかありません。

 

 

マイナス面とプラス面

メモ取りが出来ない状況で出される指示はごく簡単なものであれば3つ程度まで覚えていられる(はず)です。ただその指示をこなす間に話しかけられたり意見を求められたりすると覚えていられる確率がぐっと下がってしまいます。これから就職…!と意気込んでいる身としては何とかしたいところなのですが、ここは工夫していくしかないかな…と若干諦めムードです。ワーキングメモリを鍛える方法なんかもあるみたいなので長い目でやっていくといいのかなあと思ったりもしますがまあ多分やらないですねえ。日常生活を送るだけでも疲労が溜まっていくので+αで訓練すると疲労蓄積が倍になるのでなるべくなら避けたいっていうのが本音です。生きてるだけでしんどい

ただ料理をするようになって少し鍛えられているような気がします。頭の中で立てた一時的な段取りを作業が終わるまで保持しておくことが出来るようになったので!。次なにやるんだっけか~~~忘れた~~~ってなることもまああるんですけどそれでも調子が良ければスイスイっと作業が片付いてくれるのでとっても嬉しい。

 

状況によってマイナス面にも働くしプラス面にも働きます。メモ取りできなければ全てが終わりますが、メモ取り出来れば確実にタスクを終わらせようと奮闘するでしょう。極端ですが、それも困り感のひとつですねえ。

 

 

 

そもそも発達特性って?


 

これは今通っている就労支援所で自己理解プログラムを受けた際にスタッフの方が説明してくれたことなのですが、とても納得したので書いておきたいです。

 

 

特性っていうのはそれぞれの人が持つ癖のようなもの。そしてその癖は環境との相互作用で強弱が見えるものであって、癖自体には良いも悪いもない

 

 

環境と自己の特性が上手く組み合わされば強みに、上手く組み合わなければそれは欠点になります。自分にどんな特性があって、どんな環境であればそれを強み変えられるのか。大切なのは自分の癖をより深く知ること。そうすることで出来ること、出来ないこと、これがあれば出来る、これだけはどうしてもだめだ、と正しく自分を認知することができます。

 

発達障害に限らず、まあみんな傾向としてはあるんですよねえ。障害の域まで達してないけどちょっとASD傾向あるよねえとかADHD傾向あるよねえとか。わたしの母はADHD傾向ありますし父と姉はASD傾向があるなあと見てて思います。でもあの人たちは日常の困り感っていうのは感じてないみたいなので定型発達なんです、わたしとはそこが違う。

 

支援所で働いているスタッフさんでADHD傾向のある方ふたりが自分は過集中になりやすいし予定を覚えていられないから別のスタッフさんにリマインドを頼んでいるだとか、自分も過集中+衝動性の強さがあるから飲食で働いていた時に売上ものすごいの出したことあるんですよ!とかいろんなエピソードを話してくださってめちゃくちゃに面白かったです。ああ、そうかあ、こうやって自分の癖を知ることで対応できることって確実にあるなあと話を聞いていて思いました。定型・発達に関係なく自己理解を深め環境との相互作用を視野に入れて就職先を選ぶ、そして働く場所でもそれぞれの特性を生かし理解する社会の流れが生まれるといいなあと心から思いました。

 

 

 今日はここまでです!

個人的な発達特性の記録【感覚過敏編】

就職に向けて自己理解を深めようと奮闘している毎日です。とりあえず発達特性をガンガン言語化して他者に説明できるようにしよう!の試みで困っていること、どうすれば困り具合が減るのか、または減らないのかなどガシガシ書いていこうと思います。

 

 

 

1. 感覚過敏


 

 

・音

耳に入ってくる音全てが同じ音量で聞こえる。耳に雑音全てを拾ったスピーカーが引っ付いている感じ(伝われ)

 

 

こんな場所が苦手!

人ごみや、人口密度の高い空間。または不特定多数の人間が同時に話をしている空間。日曜日のファミリーレストランや週末の居酒屋、愉快な音楽の流れるスーパーマーケット、フードコート、花火大会などのお祭り、全員が同時に喋る場所(コールセンター勤務とか?)、電気屋のテレビコーナーとかとか。

信号の音や車の音、街中のスクリーンから流れる音、それら全てが耳に同じ音量で入ってくるので当然街中も得意ではない。

 

対応策

外ではイヤホンをつけ好きな音楽を流すことで対応。でもそれだってなかなか万能ではなく(駅の階段でめちゃめちゃでかい音で映像を流してるスクリーンがあって通るたびに辛い)体調によっては更に苛つきやパニックを引き起こす可能性もあるので苦手な場所がわかる場合には予めその場所を避けるなどの一工夫が必要かも。室内では耳栓も有効かなあ??どんなものを選んで買ったらいいのか未だ検討中なので試してみたら追加記載したい。

 

映画館は好き!

大きな音が流れるのであんまり行きたくはないんだけど、映画館はスクリーンからしか音が聞こえてこないので辛さは減る。なんとなく足が遠のく(人が多いので)けど行ってしまえばとても楽しい!混んでない日に行くと楽しいよねえ!

 

めちゃめちゃポジティブに考えてみる

これなんかの役に立たんのかいな~と思って考えてみたけど、めちゃくちゃ、本当にめちゃくちゃポジティブに考える&体調が万全であることを前提にした結果、音を聞き取る能力として使えたらいいよなあ!という結果に行き着いた。そういえば以前喫茶店で働いていたときにお客さんの呼ぶ「すいませーん」を聞き逃したことはなく、誰がどの辺で呼んだかも大体わかっていたのでわたしホールスタッフ天職なのかな…と思ったこともある。(大体の人はそれ出来るよっていうのはナシで)体調が悪くなると飲食店のガヤガヤが耐えられなくこともあるのでまあ夢物語なんですけど。

 

 

 

 

 

 

・光

一般的に見えているものより眩しく見える(一般的にどう見えているのかわからないのでこういう言い方はあまりしたくないけどわかりやすく言えばこう)

 

こんな場所が苦手!

白い蛍光灯、白い机(電気が反射して眩しい)、パソコン・スマホの画面など。

 

眩しいってだけで何が起こるの?

眩しいって別に目が開けられなくなるわけじゃないだろうに…と自分でも思っているんですが、最近気づいたことを幾つか。まず疲労。とても疲れる。パソコンやスマホを使っていて頭痛を感じる方も多いと思うんだけど、まあそれと一緒で結構頻繁に頭痛が起きてるっぽい。ブルーライトカット眼鏡を使うようになってかなり軽減したので人類の英知すごい有難うございます。それから文字が追えなくなることがある。これは蛍光灯の下で白い机を使って文章を読んでいた時に感じました。文字がばらけるように見えたり追っていたはずの段落を見失ったりする。紙って大体白いので(そうじゃないものもあるけど)、白い蛍光灯に白い机に白い紙だともう目が限界。チカチカする感じ、読めないことはないけどものっそい目が疲れる。わたしの感覚過敏はまだ軽い方だと思うのでこれ酷い人は大変だぞ…と心から思いました。

 

対応策

有り難いことに今のところ太陽光に関しては許容範囲内なのでサングラス等の使用はなし(まあ眩しいんだけどでも使ってしまうと手放せなくなるのが怖いっていうのもある)。パソコン・スマホに関してはブルーライトカットの眼鏡を使うことで疲労が軽減されている。

 

めちゃめちゃポジティブに考えてみる

なんかひとつは良かった探ししよう!って思っているけど光の過敏に関しては今のところいいところなし!暗いところにいたって光源は結局眩しく感じるわけだしねぇ。乗り越えなくても良いハードルとして便利グッズ(ブルーライトカット眼鏡・サングラス等)を上手い事使っていきたい。

 

 

 

 

 

 

・匂い

鼻が利く(…この言い方はなんだかなあ)

 

こんな場所が苦手!

人口密度の高い場所、風通しの悪い場所、数種類の匂いが混ざる場所

エレベーター、電車、バス、給食室(小学生の頃マジで駄目だった)、窓のない部屋に多数の人が集まるとき、場合によっては飲食店(中華系が苦手)やボディクリームや香水などの多数の匂いが混ざったお店など。

 

どんなことに困ってるの?

新幹線内で誰かが駅弁を食べ始めると同じ車両の人は大体気が付くと思うんだけど、まあそういうことが日常生活で常に起こっています。それだけならいいんだけど、大体吐き気頭痛胸の悪さなどを伴うのでそれに困ってる感じ。自分の心地よい匂いならまだ平気なんだけど、どの匂いをどういう基準で自分が心地よく感じるかはわからないしそもそもそんな日常の中で心地よい匂いばかりに包まれている訳ではないので大体しんどい。一般的な感覚がどの程度なのかわからないのであまりうまく言語化出来ないんだけど、複数の匂いが混ざり合ってるのが辛いんだと思う。

 

対応策

匂いの過敏さも程度で言えば軽いと思うので対応策としてはマスク+自分で香水をつける(控えめに)。香水についてはつけすぎると自分の匂いで気持ち悪くなるので本当に本当に控えめに。閉鎖空間に入った時に自分の香水の匂いで騙し騙し過ごせる(気がする)。まあ他の方の香水や整髪剤で死亡することが殆どですけどね!!

 

めちゃめちゃポジティブに考えてみる

うーーーーん、うーーーーーーーーーん。

鼻が利きます!!!鼻が!!!利きます!!!!(笑)

匂い当てゲームとか?張り切りすぎて自爆する様が目に見えるようですねぇ…

 

 

 

 

 

 

・触感

肌に触れる感覚、口内に触れる感覚の過敏さ

 

こんな物・場所が苦手!

化学繊維の服、場合によっては動物繊維の服、リネンなども。他者との距離が近くなる環境など。

 

どんなことに困ってるの?

可愛い服って大体化学繊維だったり動物繊維だったりしませんか?!?!肌に触れるもので一番楽だなって感じるのは綿100%の服。化学繊維が入っているものも最近は着るようになったけど(可愛いから余所行きにいいな!って服は大体化学繊維なので仕方ない)家に帰ってきたらなるべく早く脱ぎたい。動物繊維の服はものによってはチクチクするのであまり手に取らないようにしてます。一番苦手なのがウインドブレーカー。動くたびにカサカサ音が鳴るのでかなり苦手です。あとは厚着が苦手なので、冬でも大体薄着です。いつも寒くないのって聞かれますけど寒いです、我慢してます。でも暑さより寒さに強いのでまだ平気。厚着をすると身体が動かしにくくなるというか、ロボットみたいな動きになるのとあと服同士がこすれる感覚に苛々する。夜眠るときも綿100%のパジャマが一番好きです。分厚くなく、首、ウエストが緩やかで肌が出過ぎないものが好き。スウェットで寝ていた時期もあったけど布団とこすれたりスウェットのでこぼこに苛々したりで割としんどかった。

満員電車やぎちぎちのエレベーターなんかは強制的に他人に触れる・触れられることになるのでかなり辛い。自分の思ってもいないところから触感があるとそれだけで緊張します。基本的には精神の乱れ(苛つき)に影響が出るのかなあ。

 

対応策

服のタグが気になることもあるのでその場合には丁寧に取り除きます。はさみで切るだけでは尚更チクチクするので糸から外すんだけど、まあ面倒くさいので試着できる時にはその段階でこの服のタグは平気かチェックするようにしています。試着室で試着することも得意ではないので(外で服を脱ぐって結構な危険度じゃないです?!)袖口から腕を通してみてチェックすることも多々あり。あとは気に入った服は同じものや色違いを何枚か買うようにしてます!反復行動も好きなのでこれについてはなかなか良いライフハックじゃない…?と自己満足してるところ。

 

めちゃめちゃポジティブに考えてみる

いやぁ…まあないよね!!これも光の過敏さと同様に乗り越えなくても良いハードルとして自分に合ったもの、環境を選んで暮らしていく選択肢を取れたらいいなと思ってる。

 

 

 

 

 

 

 

感覚過敏についてのまとめ


 

 個人的に感じている過敏さは同じ様な特性を持ってる方に比べれば軽い方だと思ってる。それでも困り感がゼロなわけではないのでひとつひとつ対策を立てて使えるものはガシガシ使って日常生活の困り感がなんとかゼロに近づくように調整していけたらいいなあ。避けた方がいい場所、避けた方がいいものがわかっているだけでもかなり役立ちそう。たとえば働く上でもどんな環境なら自分の力が出やすいのか、どんな通勤スタイルを選べばやりにくさが減るのか、それにはどんな補助アイテムが必要なのか。日常生活においても役立つと思う。実際に自分の感覚の過敏さに気付いてからブルーライトカット濃度の高い眼鏡を買ってめちゃくちゃ楽になったので。乗り越えなくても良いハードルと工夫すれば乗り越えられそうなハードルを見極めるっていうのも大事な技だよね。頑張るところと頑張らなくてもいいようにするところ、気合を入れるところと気合をいれなくても良いようにするところ、緩急が大事!!

(2019.03.01 加筆修正)

 

引っ越しのとき、自分の荷物の少なさに驚いた。洋服と靴で小さい段ボール2つ、あとは4箱の段ボールにギチギチに詰まった本だけだった

引っ越しのとき、自分の荷物の少なさに驚いた。洋服と靴で小さい段ボール2つ、あとは4箱の段ボールにギチギチに詰まった本だけだった。荷物の大半は調理器具と猫のための買い置きで、こんなにわたしのものって少なかったっけとなんだか不思議だった。家を建てるために毎月6万円貯金をしていた。夫は好きなものを買っていいよと言っていたけど、わたしが散財することで家を建てられないのは嫌だなと思い、服も本も、毎月1万円のお小遣いの中で買っていた。夫はとにかく物欲のない人だったから、わたしばかり物を買うのがなんだか恥ずかしいとも思っていた。見てしまうと欲しくなるからとにかく情報をシャットアウトした。家計の中で出来ることをしよう、そう思って料理に力を入れた。お弁当も、夕ご飯も、たまに作るお菓子も、SNSにあげるとフォロワーさんにいいねを押してもらえて素直に嬉しかった。作ることは好きでも食べることはあまり好きではないから実家へおすそ分けしたり、あとはとにかく夫の好きなものを作った。

もうちょっと頑張れば頭金も溜まりそうだし、そう思ってハウスメーカーの資料を取り寄せて間取りはどうしようか、窓は大きい方が良い、とにかく日当たりが良く明るい家が良い、猫も楽しめて、キッチンにはパントリーも欲しい、小さくてもちゃんと一人一部屋プライベートルームを作ってお互いが心地よく過ごせる家にしたいと一人空想を膨らませていた。

 

子供は別に欲しくない、そう夫に言われたとき、あっもう結論ひとりで先に出しちゃったんだ、と思った。わたしは欲しいと思っているけど、でもあなたは欲しくないんだね。そう言うしかなかった。仕事をして、家事もして、ただでさえ自分の時間がないのに子供が出来たら本当に自分の時間がなくなってしまう、これ以上はパンクしてしまうんだ、子供が出来たらまことが出来なかった家事を結局自分が尻拭いすることになる、そしたら負担は今の何倍にもなる、そんなことに自分は耐えられない。それが夫の言い分だった。それを聞いて、言いたいことは山ほどあったけど、そうか、わかったよとしか言えなかった。夫は物ごとを展開する力が弱いようだった。どうしたらそうならずに済むのか、どうすれば不測の事態を避けられるのか、どうやったら上手く物ごとが進んでいくのか、夫はそう考える力が弱かった。先のことを考えると不安になるから考えられないんだ、夫はそう言っていたけど、そりゃ不安になるわけだ。どうしたらいいのか考えられないのだから。どうしたら最悪の事態を避けられるのか、夫にはそれを考える力がないのだから。夫が子供は欲しくないと言ったときに、もっと丁寧に聞き取りをして不安なことをリスト化し見せ、どうすればその不安が解決するのか話して聞かせれば良かったのかもしれない。でもわたしのお腹には赤子などいないし、何より机上の空論を夫はなにより嫌っていた。そんな状態では何も話せまい、そう思ってわたしはそうなんだね、と夫に返事をしたのだと思う。

夫には何度か、セックスしないのに夫婦でいる意味ってあるのかな、と言われたことがある。今でこそわかるけど、それが夫の結婚観だった。無条件でセックスが許される関係が夫婦なのだと、きっと本気で思っているのだろう。合っているのかもしれない、それが夫婦なのかもしれない。だからこそみな、セックスレスで悩み、セックスの出来ないわたしたちはおかしいのだろうかと自問するのだろう。わたしは初めて夫にそう聞かれたときに、この人はわたしと離婚したいのかなと思った。夫婦でいる意味ってあるのかな?そう聞かれてなんと答えればよいのだろう、そうだね、じゃあ別れる?としか言えないではないか。それとも、わかった、じゃあセックスしようかが正解なのか。わたしと夫の間には大きな価値観のずれがあった。それがとてつもなく、辛かった。わたしは夫が離婚というキーワードを出すまで、つまり結婚生活の最後までだが、セックスの出来る夫婦になりたい、戻りたいと強く思っていた。でも夫はもうわたしのことは眼中にはなかった。休日はずっとソファに寝ころびスマホをいじってばかりで、今思えばそれは当然だ、ほかに好きな女性がいたのだから。結婚式でわたしたちは互いの親族、友人の前で「病める時も健やかなる時も」と誓ったはずだった。今がその「病める時」ではなかったのか。セックスの出来ない今に悩んでいる、互いにある発達障害の特性に苦しんでいる、こんなはずではなかったと嘆いている今は、病める時でなくてなんだというのだ。互いを思い合い、許し合うことをわたしたちは誓ったのではなかったのか。わたしの中にある離婚というものに対する後ろめたさはこの「誓い」の部分に他ならない。向き合うことを放棄し、諦め、全てを捨て去った夫にはやはり怒りを覚える。しかしきっと夫にとってはわたしも同じなのだろう。わたしは実家に戻ってから夫と話をしていない。もう疲れてしまったからだ。何度話しても自分を正当化する夫の態度に、自分の思うとおりにいかないと怒鳴り散らす夫のその声に、わたしをなじり、馬鹿にし、自尊心を削るようなことばかり吐き捨てる夫の弱さに、わたしはもう疲れてしまっていた。離婚というキーワードが出た初めての夜のことを夫は覚えていなかった。人の発する言葉でどれだけ人を傷つけることが出来るのか、夫にはいくら説いても伝わらなかったことを思い出す。両親を馬鹿にするようなことを言われたこともある、友人を愚弄するようなことを言われたこともある、わたし自身を引き裂く言葉を言われたことだって何度もある。それが彼の特性だと理解はしていても、「自分はADHDだから仕方ないんだ!」と怒る夫を許容することはわたしには出来なかった。障害を持つ人間が障害を言い訳にしたら全てが終わる。夫が自身の障害に対し開き直った発言をするたびにわたしは夫を病院へ繋げたことを後悔した。自身の性欲が強いことも夫の中ではADHDの所為だった、感覚過敏によって人に触れられることが嫌悪感に繋がると言ったわたしに夫は、自分だってADHDだからこれは仕方ない、だからセックスさせないまことが悪いと言い放つ。わたしだってしたくない訳じゃなかった、夫のことが大切だったからだ。だからせめて、配慮が欲しかった、ただ気遣って欲しかったのだ。AVを模倣した男性主体のセックスではなく、互いの心を通わせ合うような、優しさに溢れ慈愛に満ちた行為がわたしは欲しかった。快楽を求めるだけじゃない、あなたのことが好きよと心から思える行為がわたしは欲しかったのだ。夫はお皿洗いをしてくれた、洗濯物も畳んでくれた、トイレ掃除もしてくれたし、食料品の買い物にも付き合ってくれた。それでもその傍ら、わたしを怒鳴ったし機嫌の悪さをわたしにぶつけた。まことは自分の実家を嫌っていると思い込み、まことは自分のことすら馬鹿にすると常に憤っていた。元ニートのくせに、正社員にもなったことのないやつに会社の何がわかるんだ、引きこもりに言われる筋合いはない、そう夫はわたしに何度も怒鳴った。わたしはただ互いを大切に思い合いたいだけだった。しかしそれも、夫にとっては煩わしいだけのものだったようだ。

 

実家へ戻った日曜の朝、父と母と三人で朝食を食べた。食後に父がコーヒーを淹れてくれ、テレビを見ながらただなんでもないことを喋った。ただそれだけの行為がとても、とても楽しかった。自分が相手に発した言葉がなんの歪みもなく届き、敵意のない言葉が返ってくる。今日の予定は、この間のドラマでさ、そういえばこの間ね、とわたしはずっと、ずっと喋り続け、父と母はよく喋るねえと笑っていた。だって!こんなに楽しいことってある?!、そう言葉にしたときに自分がどれだけ抑圧されていたのかを思い知った。わたしが求めていたことは夫にとってはきっととても難しいことだった。朝、顔を見ておはようと言って欲しい、夜寝る前にもおやすみと言って欲しい、夫婦であろうと相手に敬意をもって接して欲しい、親、友人を大切にして欲しい、嫌なことはしないで欲しい、わたしのことを大切にして欲しい。夫にはきっと、どれもものすごく難しいことだった。夫の育ってきたバックグラウンドを知っているわたしにはわかる、でも、自分の育ってきたバックグラウンドを客観的に見ることの出来ない夫には、それはわからないことだった。自分の今までのHowToが通用しないわたしに対し、夫はどうしたらいいかきっとわからなかった。それを模索する術も力も持っていなかったし、手助けしてくれる人も夫の周りにはいなかった。ずっとずっと、寂しかったと思う、孤独だったと思う。そんな夫が少しでも楽になればとずっと手を差し伸べていたけれど、夫の視界にわたしのその手が映ることは一度としてなかったのだ。

 

わたしは自分が夫のことをきちんと愛せていたのか、今でもわからない。母にそのことを相談したときには、幼少期に感情の名前付けがされていないだけだと思うからそこは発達障害の部分だよね、と言われて納得はしたけど、それでも夫に対する気持ちに「好き」だとか「愛」だとかの名前付けは今も出来ないままだ。夫は、わたしのことを本当に好きだったのだろうか。わたしに求められて結婚しただけで、結婚したらセックスし放題だしとただその考えだけで一緒になったんじゃないかとどうしても考えてしまう。

夫は一度でもわたしとの将来を思い描いたことがあっただろうか。自分はどうなりたいのか、何を求められているのか、どうすればよいのか。これからも、そう考えることが出来ずに暗闇の中、言われたことだけをこなし、自分は正当な評価をされないと相手を恨み、自分はこんなはずではないと、自他を認めずに生きていくのだろうか。わたしに出来ることは何かなかったか、つい、そんなことを考えてしまう。

未消化の呪詛

ぜーんぶ、ぜんぶ無駄だったのだなと絶望感の中で暮らしている。離婚についてはもちろんお互いに価値観の違いがあったことは否めないしだったらそりゃ一緒には居られないよねってんで原因としては納得出来てるけど、だからといって他に好きな人作っていい訳じゃないしその前段階で警告くらいはして欲しかったし、妻を同居人として扱うならそう報告して欲しかったしていうか同居人だとしても空気のように扱っていい訳じゃないからな?ただ夫が、「まことのことは人間としては好きだし自分の発達に関しても尽くしてくれたことは有難いしそのおかげで今の自分があるしまことだって家事もそれ以外も頑張っていたのは認めているよ。それでもやっぱり自分にはセックスが必要不可欠だから、それがどうしても叶わないのならやっぱり一緒には居られない」、そう言ってくれさえすればすべてが丸く収まるんだよクソ。丸く、まるーくお互い憎まずに離婚出来たんだよ。でも夫は、すべてまことが悪い、セックスに関してだって自分は努力したのにそれを受け入れなかったのはまことだろ、自分はこうするしかなかったんだ、別に教習生とライン交換して出掛けたって何もしないんだからいいじゃん、そもそも盗み聞きする方が人としてどうなの?、ADHDだから性欲が我慢出来ないんだ仕方ないだろ、ていうかADHDが酷くなったのはまことと結婚してストレスフルになったからだ、セックスに関しては誰に話したってそれはお前が辛すぎるって言われるよ男はそういうもんだよ、だからまことが悪いんだろ、って言うばかりで何も円満に解決する気がなくよくそれで落ち着いて話し合いがしたいって言うわたしに対してじゃあいい加減帰ってくれば?なんて言えるな。絶対わたしに刺されるやつだよ自分が刺される筈がないって思ってるそのメンタルマジで凄い。

わたしたちは最初からボタンを掛け違えていたし何とか軌道修正しようと奮闘してきたけど結局叶わなくてそれでも相手への誠意があればせめて円満離婚が出来たんじゃないかってずーっと、ずーっと考えている。離婚に関してはいいんだよ、お互い大切にしていたものが違ったね、お互いに叶え合えない望みならもう一度お互い努力するか諦めるか離れるかしかない、どの選択肢を取るのかってだけだもの。でも結局離婚の決め手になったのって夫が繁忙期終わりに教習生とライン交換して心移りしてたやつだしそんでバレたら開き直るし挙げ句の果てにはこの冷却期間を自分はもう離婚するって決めてるのにまことがずっと待たせてるんだろとか言うしえっお前本当に夫婦の責任とか結婚の重みとか何もないんかよって思ってそりゃ殺意も湧きますわ。
浮気してもいいけどとにかくわたしにバレるな、わたしはまだセックスが出来ない段階にいるから外のお店でしてきてくれてもいいお金は家計から出したらいいとも言ってあって、それでも自分は好きな人としたいただヤレればいいとかそういうことを求めているんじゃないと言っていた彼は教習生とラインを交換しカメラとマイクの付いている自動給餌器の前で彼氏持ちのその教習生と電話をし、わたしとの顛末を彼女へすべて報告し、一度ラインをブロックされると不安になり彼女の働く店まで行きブロックを解除してもらい、休みの日を送るから出掛けたりしようと誘い、自分は逃げ癖があるからそれは何とかしなくちゃいけないだから君と一緒にいたいんだと理解不能なことを言い、そしてわたしはその全てを聞いてしまいはらわたが煮えくり返っている訳です猛烈な殺意がある。というかすごい勢いで自分が坂を転がり落ちていることに気付いていないのがすごい、怖い。きっと離婚することで自分には何か得るものがあるのだと彼は思っているのだろうな。少なくとも社会的信用度は確実に失うと思うんですが。

自分はADHDだから仕方ないんだって開き直ってしまうやつは一番ダメなやつだとわたしは思っていて、自分はADHDだからじゃあどうしたらいいんだろう何が足りないんだろうどんな方法を取れば人生が円満に進むんだろうってそう考えないと本当に周りから人が消えていくと思うんだよね。特にわたしは小さい頃からなんで自分は人と違うんだろう何が足りないんだろうってずーっと自分の中を見つめる癖があるから本当に開き直ってしまう夫がわからなくて夫を病院に繋げたの間違いだったかなぁとかもう本当に全てがわからない。夫が持っているコンプレックス(走り方が人と違うとか本が読めないとか書く文章が小学生の作文みたいだとか忘れ物が多いだとか)はまぁ多分発達障害から来るものだろうなと思うんだけどいつまで経っても彼の中ではコンプレックスとして処理され続けるものでしかなくて、それってしんどくないかと思ってわたしが何度伝えてもまぁ無駄でしたので本人が気付くまでずーっとしんどいままなのだろうなと思う。彼はわたしを下に見るんだけどそれはわたしが彼の中で障害者として扱われてるからだと思っていて、まぁ無意識に差別しているししたら彼は自分のことを軽度ADHD当事者とはきっと思っていなくて自分は普通だけどまことは障害者って無意識的にしろ見ているんだとしたらえっ君ともうちょっと自分のこと知った方が良いよ…ってなんだかかわいそうになってしまう。自分は会社から正当な評価をされない!って彼の言葉の節々から不満が見えるんだけど、いやきっとそれは君の能力値というかもちろんADHDも関連してるのだから自分の得意不得意を知ればまた違ったアプローチが出来るよ今の君に対しての会社の評価は当然のものだと思うけど…なんてどれだけわたしが思ったところで全部無駄なんだけど。それでも彼はずっと定型発達に埋もれながらADHDを抱えて生きてきて、誰に見つけてもらえもせずずっと自分は否定されていると思い続け実家でも社会でも結婚した先でも認めてもらえない、否定されてばかりと思い続けもしかしたらこのまま一生満ち足りた気持ちになることがないまま人生を終えるのかもと思うと、本当にただ、可愛そうな人だなと思うばかりになってしまう。

こうやってわたしと夫を客観的に、俯瞰的に見ることでしか救いがなくて、占い師とか目指したらちょっといい線いくんじゃないの?とかすぐ現実逃避に向かいがち。ちょっと自分に目を向けてしまうと就職とかアパート探しとか家事と仕事の両立への不安とかそもそも一度も正社員として働いたことないよみんな仕事仕事っていうけど会社っていう建物の中でどんなことしてるの?とかいつまでも親に甘えていられないしというか27歳にもなって完全に自立したことがないのかすごいクソみたいじゃんなんでわたしはこうなんだみんなと一緒が良かったなんでわたしは発達障害ってものを抱えることになったんだなんでわたし?みんな違うじゃん?いや定型発達のひとたちだって悩みあるのわかるし大変なのもわかるけどじゃあわたしのしんどさとか悩みとかと比べた時にわたしは自分の悩みとかしんどさよりみんなが持ってるやつがいいから交換してよって思うんだよってどんどん深みへハマって鬱々と死にたくなるのでもう誰も幸せになれない。みんなしんどいのはわかってるし自分の言ってることがすごい不躾で人生に対しても不誠実なのはわかってるよ…でもやっぱりわたしもみんなと同じスタートラインが良かったし立ってるステージが人より低いって大変だからその大変さを生まれ持ってるってどれだけ人生は不平等なんだと叫び出したくなってしまうんだよ。ADHDを抱えてきた夫と結婚したことで、ああわたしはこの人の痛みをわかるためにこの形で生まれてきたのだと納得していたわたしは今無残にも殺されてしまってまた胸の中がざわざと不安で満ちてしまっていますだってそうだろ離婚かぁしんどい。

優しかった夫はいつ死んだんだろうと考えた時に、そういえば結婚後にしてきた喧嘩で彼は一度も、もう一回ちゃんと頑張りたいと言わなくなったなと思い当たって、そうか優しかった彼はあの結婚式の日に死んだのだと思ってなんとも言えない気持ちになった。始まりの日、ちゃんと仲直りして迎えた結婚式のあの日、二人で生きていこうと誓ったあの日に優しかった彼は死んだのだ。わたしが彼を殺したのならあの時の彼はわたしだけのものになると思っていたけど母にあなたが殺した訳じゃない、彼自身が自ら変わったんだ、他に優しくしたい人が出来れば元の優しい彼がまた現れる、優しい彼はただの仮面だったのだとぶった切られ本当に救いがない。どれだけ綺麗な思い出にしたくても容赦なく母が現実を突き付けてくるのでしかしそれもまた母の優しさなのだ。まことさんはきっとちゃんと彼のことが好きだったんだよ、今でも好きでしょう?だから綺麗なままにしておきたいしまだ執着してしまうんだよ。わたしが夫に対して好意と思っている気持ちはただの支配欲、コントロール欲なのではと話してから、母はいつでもこんこんとわたしの夫に対する気持ちを「好き」という名前で話してくれる。好きだったのかなぁ。そうだといいなぁ。今の彼に関してはそりゃあもう殺意しかないけれどそれでも優しかった彼は確かにいたのだし、今はもうただ心の仏壇にそっと手を合わせていくしかない。仏壇にいるその彼はわたしだけのものではないようだけど。

何とかして自分を救いたいわたしはみっともなく、毎日ずっと同じことを考えている。どうしたら良かったのか、どうすればこうはならなかったのか、わたしの何がいけなかったのか、わたしになにが足りなかったのか。母も友人も、まことさんは頑張っていたよと言ってくれる。結婚は決して一人では出来ないのだ。街を歩く夫婦を何組見ても、羨ましさが消えることはない。わたしも彼とああなりたかったし、彼もきっとそうだろう。でもお互い手を取り合うことが出来なかったし立っているところも違っていた。こうやってまた美談にしようとするのは本当に悪い癖だ。どれだけ救いがなくたってそれが現実なのだから、今はもう離れた彼の心を憎みながら歩いて行くしかないというのに。

‪そのままで君でいいんだよと人から何度言われても自分の首を自分で絞め続けてしまってその癖は昔から全然直らないので、ありのままの自分とかそのままのわたしとか、えっ全然ダメでしたけど嫌われてきましたけどえっありのままでいたら死ぬしかないんですけどって今まで読んできたけどクソ役に立たなかった自己啓発本でいつか全員殴ってやる‬


そのままのあなたでいいんだよと言う他人など存在するんだろうか。わたしはあの女教師に認められなかった、小学生のあの頃からいつも疑念ばかりが頭をよぎる。夫はセックスの出来ないわたしを認めなかった。セックスの出来ないわたしに愛情を持つことが出来ないとはっきり告げたのだ。そうか、そういう価値観かと納得すると共に猛烈な虚しさを覚えた。セックス以外で示してきた愛情は彼にとって何の価値もなかったのだ。手の込んだ料理も忘れたことのないアイロンのかけられたシャツも、彼が喜ぶと思って買っておく様々な物たちも、彼にとっては何の意味もなくただそこにあった、ただわたしによって起こされた事象に過ぎなかったのだ。悲しい、なんて悲しいんだろう。わたしたちがセックスを出来なくなった原因はお互いにある。例えセックスが出来なくても、それでもわたしは彼と一緒に居ることに意味があるのだと思っていた。世の中には様々な夫婦の形がある、わたしたちはほんの少しだけ、一般的な夫婦の形とほんの少し違うだけなのだと。互いに思い合い、結婚式で誓った「病めるときも健やかなるときも」その言葉を信じて過ごしていけると、そうわたしは思っていた。‬

‪半年ほど前、彼はなんて事ないトーンで「セックスしてないのに一緒にいる意味ってあるのかな?」とわたしに聞いたことがある。きっとその時から既に終わりが始まっていたんだろう。もしかしたらそれが彼の発した唯一のSOSサインだったのかもしれない。わたしの耳にはそれとして届くことはなかったけど。‬
‪わたしたちはこれまでたくさん喧嘩をしてきた。仲直りが下手でズルズルと長期間引きずってしまうことが殆ど。わたしは必ず話し合いをして解決したかったから、お互いの頭が冷えてから話し合いの場を設けていたけれど、彼にとってはそれは話し合いなどではなく、ただわたしが彼に説教をする場として認識していたようだ。それを聞いた時、サァーッと心に砂が舞った気がした。じわりじわりと広がったのは虚無感だけで、何も、本当に何も伝わっていなかったのだと絶望した。彼は喧嘩のたびにカッとなり怒鳴った、わたしをなじったこともある。何度も大声で怒鳴り、家を出て行こうとし、わたしに引き止められ渋々と話をした。そうだ、そういえば結婚式の前日にも大喧嘩をしていた。原因は忘れたが、結婚式の前日でさえ怒鳴り散らし喧嘩をちっとも収めようとしない彼に幼稚さを感じたことを覚えている。彼にとって結婚とは一体何だったのだろうか、どれだけ考えてもわたしにはわからない。‬

‪夫は軽度ADHDと診断を受けコンサータを服用している。かかりつけの精神科医に怒りのコントロールが上手く出来ないことを相談したこともあったがアンガーマネジメントは幼少期からやらないと難しいと言われたと言い、そこから何もしようとはしなかった。彼は怒鳴ってしまう自分に困っていなかったんだろうか。医師に対して、でも困っているんです、何とかしたいんですと、言いも思いもしなかったんだろうか。そこに夫婦の亀裂の理由があるのだと、微塵も思いはしなかったんだろうか。‬
‪夫から離婚を提案する連絡が来ている。彼の中にわたしはもういないのだと思うとどうしても気持ちが沈んでしまう。繁忙期は食べることくらいしか楽しみがないという夫に、少しでも喜んでもらえるように、少しでも仕事の息抜きになるように、少しでも楽しみが増えるように、そう思ってゼロから料理を練習した。一人暮らしの時は料理なんてろくにしてこなかったけど、誰かのためにと思うとぐんぐん上達した。夕飯に炭水化物を摂ると太ってしまうという夫に毎晩4品はおかずを用意した。肉野菜魚バランス良く、もちろん彩りも忘れずに。丁寧に作っているね、美味しそうだね、母にも友人にもたくさん褒めてもらえた。夫はいつもお弁当ありがとう美味しかったよとコピーアンドペーストでLINEをくれた。今日はさつまいもの炊き込みご飯を入れたよ、そう朝に伝えた日に送られて来たのは、チキン美味しかったよ!だった。いいんだけどね、あなた鶏肉好きだものね。‬

‪こうしようかああしようか?と少しでも彼が生活しやすいようにしていたけど、どれも煩わしそうにしていたことを思い出す。放っておいて欲しかったのかな、余計なお世話だったかな、全てが彼を否定することに繋がっていたのかもしれない。まことはわたしのことを否定してばっかりだ!と何度も怒鳴られた。わたしはコミュニケーションが得意じゃないから、もしかしたら本当に彼を否定してしまっていたのかもしれない。彼はいつもそれを笑って誤魔化してくれていただけで、わたしはずっと彼にナイフを突き立てていたのかもしれない。彼がずっと耐えていただけで、わたしが悪なのかもしれない。考え出したらキリがない、どうしたら良かったのか、どうしていたら違っていたのか。‬

‪わたしは彼に話して欲しかった。セックスが自分にとってとても大切なんだと、感覚過敏があるのはわかっているけどそれでもしたいのだと。‬
‪わたしは彼に学んで欲しかった。自分のするセックスがどれだけ自分本位なものだったか、どうすればお互いに負担がないセックスが出来たのか。喧嘩をし、怒鳴り、怒鳴られ、そういった後にどうすれば気持ちが回復するのか。‬
‪デートに誘って欲しかった、わたしから誘った時は一緒に楽しく計画を立てて欲しかった、手を繋いで良いかと聞いて欲しかった、怒鳴らないで欲しかった、ローションを使って欲しいと言った時、ちゃんと使い方を調べて欲しかった、恥ずかしいなら一緒にふたりで学びたかった。自分の性欲を満たすためだけじゃなく、わたしを愛すためにセックスをして欲しかった。‬
‪頑張ってくれたことだってある。誕生日ケーキを内緒で買ってきてくれたこと、洗濯物を綺麗に畳めるようになったこと、お皿洗いが上手になったこと、帰宅前にはこれから帰ると必ず連絡を入れてくれること、車の中では音楽をかけないでいてくれたこと、友人に会いに遠出をする時は快く送り出してくれたこと、決してわたしの味方ではないけれど、でも義実家の肩ばかりは持たなかったこと。‬
‪どこがどうなって今になったのか、わたしにはわからないけど、でもきっと最初から全てが噛み合っていなかったんだろう。ボタンを掛け違えたままずるずるとここまで来てしまった。掛け違えたことにも気付かないままに、暗く先の見えないトンネルを、わたしたちは互いの居場所もわからぬままに、ただ闇雲に這い蹲ってきただけなのかもしれない。光なんか差していなかった。お互いが目指す方向もきっと違っていた。少なくとも、わたしの目指す方向を彼が見ることは一度もなかった。彼がどこを目指していたかもわからない、もしかしたら彼はずっと同じ場所で足踏みをしていただけで、その周りをわたしが延々と、ただウロウロとしていただけだったのかもしれない。セックスの出来ないわたしたちは夫婦としての形を保てなかった。‬

‪あなたがわたしに今の状態でセックスを求めるということは、足のない人に走れと言っていることと同じだよと話したら、だったら私だって性欲を我慢しているから同じことだと夫は言った。そうだね、辛さを比べちゃいけないね。もう、夫になんと声を掛けたらいいのかわからない。悲しくて、でもこの人の辛さをなんとかしてあげたいと思う。でもわたしにはどうすることも出来ないのだ。‬

発達障害から来る感覚過敏に悩むわたしと、セックスに執着する夫。繰り返し怒鳴られることで気持ちを夫へ向けられないわたしと、いつも否定ばかりされてきたそれでもこんなに頑張ってきたのにと憤る夫。彼から自発的に気持ちを感じる行動をしてほしいと思うわたしと、言われたことは全部ちゃんとやってきたという夫。せめてセックス以外で愛情が伝わればと尽くしてきたわたしと、有難いと思うけどでも自分はセックスでしか愛情を感じられないという夫。先のことをちゃんと考えていきたいわたしと、先のことを考えると不安になるから何も考えられないという夫。‬

‪結婚するってどういうことなんだろう。正しいセックスってなんだろう、愛って、なんなんだろう。‬
‪わたしは夫を愛していたんだろうか、夫はわたしを愛していたんだろうか。わたしはただ夫を支配したかっただけなのではないだろうか。自分の望むように彼を動かしたかっただけなのではないだろうか。ずっと、そんなことを考えている。‬
‪わたしはただ夫を支配したくて、この人なら支配出来ると思って近づいて、自分が親から離れられるように、ただ寄生先を見つけただけで、だから夫を愛していなくて、それでセックスも出来なくなったのではないか。夫には怒鳴られたけどわたしだって夫に怒鳴り返した。夫はわたしがセックスを受け入れないことをDVだと言う。わからない、何が正しくて何が悪で、何が愛で何が憎悪なのか。ずっと、ずっとそればかり考えている。‬
‪きっと夫もわたしを支配したかったのだと思う。自分の思い通りにしたかったのだろう。だって彼は幼い頃からずっと親にも兄にも親戚にだって支配されてきたのだから。ずっとずっとずっと彼は我慢してきた筈だ。子供の頃から今の今まで。そして遂にはわたしにまで、我慢させられてしまったのだ。‬

‪わたしに何が出来るのか、どれだけ考えてもわからない。ただ、夫には誰か、ちゃんと彼を受け入れてくれる人がいて欲しい。心も身体も受け入れてくれる誰かが、夫のそばに現れて欲しい。彼の世界が寂しくないように、自分を責めることのないように、我慢させられることのないように、どれだけぺしゃんこになってもちゃんと空気を入れてくれる誰かが彼のそばに現れて欲しい。そう、心から思う。‬



‪かかりつけの精神科医に、まことさんは結婚生活も上手くいってるようだし大丈夫よ、と何度も言われたけど先生、大丈夫じゃありませんでした。やっぱり発達障害者の結婚生活はパートナーとの相性が大切なようです。わたしと夫では何一つ噛み合うことがありませんでした。先生、わたしたちは上手くいっているように見えていただけで、全然駄目でした。キラキラして見えた結婚生活も、蓋を開ければそれは腐ったケーキのような、ただの見せかけのものでしかなかったようです。先生、夫は診察の時何か話をするでしょうか。離婚について、先生には何か話をするのでしょうか。夫が第三者にわたしを非難する目的以外で何かを話す姿がちっとも想像出来ません。彼はまた、我慢をするのでしょうか。それとも自分が責められることのないよう、うまいこと話を作ることが出来るのでしょうか。わたしはまだ先生にあまり信頼を置けていないけれど、それでもやはり、夫を救って欲しいと願ってしまいます。‬